2010/12/30

ワークショップ入門  堀公俊



 前職の研修にファシリテーション研修が2日間に亘ってあり、大変面白い時間を過ごした。 ここで講師をしていたのが堀氏であった。 日本のファシリテーターの第一人者であるが、その時はそうと知らず面白い研修をする人というだけの印象だった。 直接いろんな話を聞けたろうに、残念なことをした。 

 Wikipediaによるとファシリテーションとは「会議、ミーティング等の場で、発言や参加を促したり、話の流れを整理したり、参加者の認識の一致を確認したりすることにより、合意形成相互理解をすすめ、組織や参加者の活性化、協働を促進させる手法・技術・行為」であり、ファシリテーターとはこのプロセスを進行させる人、ということになる。 このファシリテーション技法を用いながら、組織の課題を見つけ出し、さらにその進化形として、課題の解決方法を探し、実行プランを作れれば有用である。 なぜならば、ファシリテーションを通じて、すでに関係者内で合意形成されているから、さあ実行して解決しようというモチベーションが生じているからである。
研修の経験からすると、ファシリテーション技術を身につけるには研修を何度か受けるとかしないと難しい。 本を読んだだけで出来る人は数少ないのではないか。 研修を受けられないとすると、結局実際の経験をつむしかない。 では具体的にどうするかというと、まず何人かで議論してみる、というのが一番だろう。 ただその際に、議論のテーマや時間、目的を決めておく必要がある。 会社の現状について話をしよう、というだけでは最後は愚痴を言い合って終わるのが良くあるパターンである。

 そこでワークショップの基本的な手順を踏んで、議論をしてみようということになる。 ということで、ワークショップに関係した本を何冊か読んでみた。 堀さんの本は5冊ほど読んだが、やはり入門編としてはこの本がベストだろう。 残念ながら、これまた読みさえすれば、良いワークショップが出来るとは約束できないが、まずはどういうワークショップにするかのプランがしっかりしている必要があり、堀さんもこの本の中で、プロが一番時間と頭を使うのがこのプラン作りだと指摘している。 裏を返すと、しっかりプランしておけば、本番を向かえる前にすでに70%は成功していると言っていいかもしれない。 

 この入門書においてまず真似をするべきはプラン(プログラム表)の作成だろう。 参加者、時間、場所、議論のテーマ、手法などを定め、一定のルールの中で議論できるようにしておく。 あとは当日を迎えて、参加者を信じることだろう。 ほとんどの場合、我々の身の回りにある課題は、実は本人自身が解決方法を知っている。 その解決方法を気づいていないか、気づいていても表に出す機会が無い。 ワークショップは、それを助ける「場」という位置づけである。 

早川徳次 シャープを創った男




 すでに10年経ってしまっているが、日経新聞が二十世紀の経営者という連続特集をしていて、その中に早川徳次の回があった。 半ページにも満たない記事の中で早川の生涯を紹介しているのだが、その生き様には衝撃を受けた。 商売が上手かったとか、大変な発明をしたとか、努力の人とか、「偉人」を称える形容は数多くあるのだが、経営者においてその人徳で称えられる人はあまり多くないのではないか。 
早川を扱った本は多くあったようだが、伝記物は現時点では絶版になっていて、この本も実は古本屋から取り寄せて読んだ。

 1893年に日本橋に生を受けた早川は物心がつく前に養子に出される。 家業が傾いたのが養子に出された理由なのだが、本人は自分の出生を知らぬまま養子先の子供として育つ。 しかしその養子先がとにかく貧乏で、養父は酒飲みで働かず、養母も早川を虐め抜く。生活の糧は小学校にも上がっていない早川の、早朝から深夜に亘る内職だったようである。 それでも養母はこの可哀相な少年に辛く当たり、長屋にある共同便所の肥溜めの中に突き落として、大騒ぎになったことがあった。 学校にも行かせて貰えず、栄養失調になった早川を見るに見かねた長屋の人たちの計らいで、鍵屋職人の家に奉公に出され、ようやく普通に飯が食える状態になった。 とは言え、児童福祉法など無かった100年前の話である。 冬の寒い中、明け方から夜遅くまで働き、食事とて粥程度のものしか出なかったであろう早川少年のもとに、養母は僅かな給金を巻き上げにやってくる。 この間ずっと、早川はこのどうしようもない父と母を実の両親として信じて疑わず、稼ぎを渡すのが子の務めと思っていたようである。 

 彼の最初の発明は徳尾錠。 穴を開けなくていいベルトバックルである。 これは私もお世話になっている。 鍵屋が左前になってから、早川が職人として自ら考案し、親方の進めもあり特許を取った。 さらに有名なシャープペンシルを発明する。 これらが大当たりして大いに忙しくなってきた。 晴れて独立し、従業員を雇い、工場を立て、結婚して子も3人儲けた。 
 ところが幸せは長く続かず、1923年におきた関東大震災で、工場も家族も同時に失う。 さらに、たちの悪い大阪商人に足元を見られてシャープペンシルの特許をすべて売り渡すことになり、自分は一介の技術者に戻る。
 普通であれば、この時点で並みの人ならば自暴自棄となり、人生を踏み外すのではないだろうか。ところが早川の生き様はここからが凄い。

 その後、早川を慕う昔の部下と共に、大阪でシャープの前身となる早川電機を起こし、日本発の製品を次から次に発明し、現在のシャープを一代で作り上げた。 日本初の製品としては、ラジオ、テレビ、電子レンジ等々。 ビデオレコーダーのカセットをフロントから入れる仕組みや、右からも左からも冷蔵庫など、意外なものも山ほどある。 電子レンジが動いた後の、チンという音。これもシャープが最初。 そしていまのシャープを支える、液晶や太陽電池なども早川が生前から取り組ませていた技術である。 「人に真似されるようなものを作ろう。」という早川の指導の下に常に新しい技術に取り組んできた。

こういう成功物語とは別に早川の人徳を物語る逸話には事欠かない。 シャープペンシルを作っていた時代には、同じ詐欺師に2度だまされたが、真人間になれと説教してそのまま帰したとか、戦後の不景気に、社員を首にするなら会社を潰すと言って聞かなかったりとか、あれだけひどい目に合わされた養父母はもちろん、鍵屋の親方をはじめ、少しでも世話になった人には徹底的に面倒を見たようである。 さらに驚くべきことに「事業の目的とは社会への奉仕」であると言い切っている。 

 いまシャープは液晶と太陽電池で成長し、早川の時代から何倍も大きくなり、従業員も連結で5万人を超えるそうである。 その中で、この創業者の理想を守り続けることは容易ではなかろう。 時代も違い、会社や事業は株主を儲けさせるために存在する、という経済理念が大手を振るい、これに逆らうと市場という最大の資金調達先から手酷いしっぺ返しを食らう。 
こういう時代だからこそ早川の遺伝子を受け継ぐ人たちに、理想を追い求め続けてもらいたい、そう期待している。

<追記> 2012年10月現在、シャープはキャッシュフローが足らず、創業以来の危機に瀕している。 改めて早川の志を思い出し、社員一同必死で頑張り、再度の復活を遂げてもらいたい。

2010/11/07

雑談のルール 松橋良紀氏


筆者は営業経験が長くセールスマンとして実績のある方らしく、経験談から語っているので説得力がある。 その「秘伝」を100も挙げているのだが、さすがに100も覚えきれない。 せいぜい5つ、理想的には3つ程度覚えられれば上出来の私の記憶力なので、20倍濃縮にして書いておく。 冒頭の3つが私にとっては最重要。

 壁の花という言葉を思い出すが、営業分野に長い割には、雑談が苦手である。 目上の人をつかまえて、アレコレ長く立ち話をしている人を見ると、いったいどういう話題があるのか不思議でしかたない。 初対面のお客さんと話をしてもオフィシャルトークが一段落すると、はて何を話し始めたものかと、沈黙を恐れるあまり余計な話を始めてしまい、話している途中でこれをどう着地させたものかと、パニックになっていることもある。 ということで読んでみた。

大前提として、雑談とは何か、どの位大切かを理解するべし、と語られている。 ビジネスとは人と人のつながりの中から生まれてくるもので、そのためにはお互いを知り合う必要がある。 たかが雑談と侮れないのは、雑談によってお互いの人間性の理解が深まるから。 実際のところ、この筆者の経験では、契約を取った後のキャンセル率は、雑談の長さと反比例するそうである。 最近、生きていく楽しさと言うのは、自分と違う経験を持った人と、どれだけ数多く知り合うことができ、学ぶことが出来るかではないかと思うことがある。 雑談はその重要な入り口ということだ。


  1. 沈黙の恐怖を克服するには、相手に集中すること
    恐怖感を感じるのは、その間に自分がどう思われているかに意識が集中してしまうから。 
  2. 相手の口をなめらかにするには、苦労話、自慢話、感動話
    社会的に成功した人は特に苦労話が好きらしい。またそこから成功哲学を聞けるチャンスでもある。
  3. 言葉の最後を質問で終わらせると会話が途切れない
    ろうろうと発言した後でしんとなってしまい、言いっ放しの恐怖を感じることがある。 つい知識をひけらかしてしまったかと反省してしまうのだが、「・・と思うけど、どう?」とか、「・・って経験ない?」という終わり方がいい。
  4. 相手の話の後で、「どうしたいの?」「どんな?」「なんで?」でオープンクエスチョンにすると広がる
  5. 聞きにくいことを聞くときは「・・・ではないですよね?」
  6. 名刺交換をしたらじっくり裏表を見て質問する
    ろくに見ずにしまうのは礼儀違反ということもあるが、名刺に書かれた情報を話題に利用することも出来るし、何より相手に関心を持っていることを伝えることが出来る。
  7. 視線は斜め下、うなずきは相手に同期
    心理学的な実験だそうである。 考えるときは視線を下にする、相槌は同じペースですると、相手に心理的な圧迫をあたえない。
  8. 木戸に立ち掛けし衣食住で話題探し
    気候、道楽(趣味、テレビ、映画、スポーツ)、ニュース、旅、知人、家族、健康、仕事、ファッション、グルメ、家(住まい、出身地)
  9. 人脈の作り方
    質より量。 一回じっくり話すのと、数回ちょこっと会ったのでは、後者の方がつながりが多い。 30分一回よりも、10分3回の方が効果が大きい。

家内にあなたは人の話を聞いていないと言われる。 確かに聞きながらも、次の話題を準備したり、聞いた言葉から別なことを連想し始めたりすることが良くあり、悟られると不誠実にとられてしまいがち。 相手に集中していないということだろう。 その意味をこめて順番を決めた。 

2010/11/06

プロセスを見せてあげる

大学のOB会に参加した。 先生は80を越えてまだしっかりされており、「君の原点はどこにあるのか?」、「それは世のための役に立っているのか?」などと、大企業の役員をしているような先輩方ですら、グッとつまるような質問をするどく投げかけられていた。
人は生きていくのが義務。 人が生きると書いて人生。 言葉は力。 それを発信して社会を動かすことができる。 足は前に歩くためについている。 などなど。

この会で、ある資格をお持ちで、それによって27歳で独立され、今日に至っている先輩の話を伺い、関心したことがあったので覚えに書き込んでおく。 若くして独立され、資格があると言っても決まった顧客がいるわけではないのに、最終的には大企業や霞ヶ関から仕事がくるようになり成功を収められている。 何がきっかけで順調になったのですか、の問いかけに「自分の仕事の進め方、プロセスをすべて開示し、お客様と一緒に考えて、最終的にお客様に判断してもらうようにした。」というお答えであった。

これは実に学ぶべきことだと思う。 何かを請け負う。 当然条件はあらかじめ決めて契約するものだが、出来上がって引き渡してそれで終わり。 瑕疵がなければそれで、ビジネスとしては完結している。 ただ、顧客から見るとその間はブラックボックスになっているので、最後になるまで結果が判らない。 同時に請負側にどういう苦労があるかも判らない。 ひょっとしたらその間に、顧客にとって大きなリスクが発生していたかも知れず、あるいはもっと良い結果が得られる可能性をみすみす失っているかも知れない。 
契約後、自分が何をしようとしているか。 それによってどんなことが起こりえるのか。 それをすべて開示することは請負側からすると勇気の要ることであると同時に、顧客から余計な指図が入るリスクでもある。 そこを敢えて、オープンにする、それによって信頼を勝ち得る。 こう書くと基本的のように思えるが、それを実際にできている会社は殆どないのではないか。

2010/09/04

変えてはいけないものがある・・・盛田さんの言葉



 品川駅から御殿山に向かって10分程歩くと、ひっそりとソニー歴史博物館が建っている。 いまはほぼ誰も訪れる人も無く、内部はいつも閑散としている。 そこでソニー創業者の井深さん、盛田さんの肉声がアーカイブになっていて、映像と共に聞くことができる。 

 大きな仕事をした人たちの言葉というのは含蓄がある。 井深さんのソニー設立趣旨書の中に出てくる「真面目なる技術者の技能を最高度に発揮せしむるべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」というフレーズは、出来たばかりの小さな会社の、しかも明日潰れるかも知れない状況の中でその会社の責任者が書いた言葉としては驚異的としか言えない。 特に好きなのは・・自由闊達にして愉快なる理想工場の建設、という部分だ。 高度に利益優先になってきたいまの社会では理想であっても非現実的に聞こえるが、だからこそ改めて思い起こしたい。

 もうひとつ、このアーカイブで次の盛田さんの言葉に出会った。 
含蓄のある、印象的な言葉だ。
「変えていくこと、壊していくことは成長のために重要だが、”改革”の美名の下に変えてはいけないもの壊してはいけない。 変えていいものと、変えてはいけないものがある。」 

 社員を前にして語った30年以上も前の言葉と思われるが、いまでも通じる新鮮さがある。 何を変えるべきか、何を守るべきか。 いますべての日本人に問われているのではないか。


(2019年でソニー歴史博物館は閉鎖になってしまいました。残念至極です。レポートを書かれた方のHPを参考までに乗せさせていただきます)
http://tecstaff.jp/2018-12-18_sony-archives_report.html



マルチタスクのイタリア人、シングルタスクのドイツ人

Multi-task
フランス人の友人がから聞いた話。 
「ドイツ人との会議に少し遅れると、そのドイツ人は次の打ち合わせまで時間が無いので、早く済まそうと急にそわそわし始める。」
「人によって仕事の進め方が違い、それは性質に所以する。 国民性の違いも大きい。 ひとつのことをしっかり仕上げてから、次に仕事に取り掛かることをシングルタスク、あれこれと一見バラバラな作業をしつつも、余った時間にアレコレ仕事を詰め込んでこなしていくやり方をマルチタスクと呼ぶ。 ドイツ人は前者のシングルタスクで、マルチタスクはイタリア人に多い。」

「日本人はドイツ人に似て、シングルタスク。」と言われた。 そうかも知れない。 出現率の統計はないが、日本人の仕事の仕方はマルチタスクの人は少ないように思える。 

マルチかシングルかは、別に良い、悪いではない。 仕事の進め方の違いであって、共同作業をする際はシングルタスクが合う。 超多忙に仕事をこなしている人は、もともとの性質がどうあれマルチタスクにならざるを得ないかも知れない。 組織としてはマルチとシングルが、その役割分担の中でうまく歯車が合うのがベストなのだろう。 
「まず最初にその人がドイツ人なのか、イタリア人なのか知るのが大事。」 と彼が言った。

2010/08/28

イエスのミステリー ―死海文書で謎を解く by バーバラ・スィーリング


 この本はすでに絶版になってしまっているようだが、1990年代の前半にはNHKなどでも取り上げられ一時話題になった。 オーストラリアの歴史学者が記した、近年発見された死海文書という古文書によってイエス・キリストの本当の姿を再現しようとした「学術論文」である。 キリスト教信者にとっては信じ難い、あるいは信じたくない衝撃的な内容になっている。 


 印象としてはキワモノ的なゴシップ本というより、古文書を丹念に辿ったうえで書かれた本で、裏を返すと私のように聖書もしっかり通して読んだこともなく、神学などは皆目判っていない人間の手には余るレベルなのだが、それでもあらすじをなぞるだけでも知的興奮を得られる。 数年前にDan Brawnというアメリカ作家の原作でダヴィンチ・コードという映画が話題になった。 この筋書きはこの本における研究成果をベースにしていると、私は睨んでいる。 
 
 一方、神学者や信者の方からの評判はすこぶる悪い。 ギリシャ語からの翻訳内容が間違っている、あるいは年代がバラバラという指摘もある。 この点は素人の私だと直接ギリシャ語原文をあたることもできず、こういう確かめようのない部分が、内容の難解さと相まって絶版になってしまった理由かもしれない。 キリスト教は、マリアの処女懐胎、イエスの十字架上での磔と復活が「奇跡」の中核であり、信仰の礎となっている。 日常生活からすると考え難い出来事なのだが、それが実際に起きたことこそキリスト教たる所以とされる。 一方でこの2000年間、それが事実かそうでないかで、多くの人の命が奪われるほどの争いが続いてきた。
聖書にはいくつかの福音書があり、内容も違うのだが、大まかな流れは次の通り。 



  1. イエスが処女マリアから生まれる。(処女懐胎)
  2. 成長し、啓示によって自分が神の子と気づき布教を開始する。
  3. 悔い改めることで神の道に導かれると唱え、さまざまな奇跡を起こした。 
  4. 旧勢力との確執から、罪を着せられ十字架で磔され葬られた。
  5. 洞窟に葬られたはずの遺体はなくなっており、その後弟子たちの前に姿をあらわし、天に昇っていった。(復活)


 この本で書かれる筋書きは大きく異なっている。 イエスはユダヤ教の一宗派の長の家系に生まれ、父ヨゼフと母マリアの間に生まれた。 ただし二人は宗教儀式的には正式な結婚をしていなかった。 これは当時の感覚としてはけしからぬことであった。 ゆえにマリアは正式な「結婚」をせずに、つまり処女のままで「身篭った」ことになったとしている。


 復活に関しての説明はこうである。 十字架で磔になるのは大変な苦しみを味わうのだが、ユダヤの地にはもともと痛みを抑えて仮死状態にする薬物がある。一方でその薬物を打ち消す薬も用いられ、いまで言う麻酔技術があった。 イエスは洞窟に葬られた際には仮死状態であったのは間違いないが、少なくとも死んではいなかった。 

 キリスト教を神聖化する奇跡のもっとも大きな処女懐胎と復活の解釈をこのように説明するのは、多くの信者にとっては自分たちの信じるところへの根本的な否定と捕らえられる。 筆者はこれだけではなく、イエスは子供も作り、長生きをし、最後はローマあたりでなくなったろうと推定している。



 ところで著者が何を根拠にこういう推論を出したかというと、死海文書である。 死海文書は1947年に死海の近くの洞窟の中から羊飼いの少年が偶然発見した数百にのぼるユダヤ教の古文書である。 紀元前100年頃に書かれたものが中心とされていて、キリスト教成立以前にいわゆる旧勢力の視点によって書かれている。 その中にはぺシェルという技法に書かれているところが多く、これは日本で言えば掛詞(かけことば)である。 突然だが歌人・柿本人麻呂は朝鮮渡来人で彼の和歌は日本語の意味とは別に朝鮮語による解釈が可能である、という説が出されていた。 同じことである。
 死海文書にはこのぺシェルの技法がふんだんに用いられており、その技法を駆使して聖書を解釈するとこうなる、というのが著者の主張だ。

 この本の主張が正しいか、間違っているか、判定をすることは自分には出来ない。 興味本位で信者に話すつもりもなく、特に外国で場所をわきまえずこういう話題を出すのは非常に失礼なことになりかねないし、下手をすると刃傷沙汰である。 とは言え、本に書かれている文字のみを盲目的に信じるよりは、自分の中で解釈して、その人なりの生き方に組み込んでいくのが、あるべき姿だろう。




 

2010/08/09

ランチェスター販売戦略  田岡 信夫氏

 ビジネスの社会に入っていろいろな本を読んだが、営業・マーケティング戦略のバイブルというとこの本だろう。 大変懐かしい。 

これはイギリスのランチェスター氏が考案した軍事作戦理論である。
第一法則と第二法則がある。
まず第一法則は、一騎打ちの法則と言い、例えば5人の兵士と3人の兵士が戦うと3人づつ死に、大勢居た側が2人残るというもの。 5 - 3 = 2 である。
第二法則は様々な兵器を持って戦う状況を想定する。 この場合は戦闘力は兵力の2乗になるとされ、5名と3名で戦った場合、多数側が生き残るのは4名になる。 
5 X 5 - 3 X 3 = 25 - 9 = 16 = 4 X 4 
つまり数が多いほど、より圧倒的に戦闘力が強まるということである。 
統計からはじき出された数字でもあり、恐らくこれは正しいと思われる。 私は数学が苦手だが、ゲーム理論も同じことを言っていて、極端に解釈すると、「強いものが勝つ」という事であり、「強い側はその体重さや筋力の比率以上に圧倒的に強い」ということになる。 当たり前と言えば当たり前で、判官びいきの日本人には何となく面白くないのではないだろうか。

田岡氏がそういう発想を持っていたかどうかは知るすべもないが、こういう力の差が圧倒的に効いてくる「商売」という戦いの場で、どう勝ち残るかを体系立てたのがランチェスター販売戦略である。
超簡単にまとめるとこうなる。
  1. 強者の戦略: シェアが高いプレーヤーが勝ち残るためには、第2法則が適用される状況下で戦う。 具体的に言えば、対抗する相手と同じ性能の武器を持ち、同時に投入するべき人員も多く、かつ同じ戦場で戦うべし。 平たく言うと、競争先のやることと同じことをする。 ただし物量は多く掛ける。
  2. 弱者の戦略: シェアが低いプレーヤーが勝つためには第一法則が適用される状況を作り上げること。 つまりなるべく相手を分散させる、一点に絞って攻撃を仕掛ける。 もっと具体的に言うと、相手の戦っている商品、販路、販売地域などをセグメント化して、弱そうなところを狙って売り込む。
ランチェスター・・・という響きは何故か機関銃を思い起こさせる。 もともとが上記のように軍事科学から発達して、日本にも紹介された。 それを販売戦略に応用して有名になったのは筆者の田岡氏の功績らしい。 社会人10年目未満だったと思うが、営業活動を科学的に定義できるような画期的な理論はないか探していたときに出会ったのがこの本だった。 自分の頭でこれだと思える自分の形を作れず、ある意味悩んでいたこともあるだろう、そのときには稲妻のようにこれだと思えた。 いまでは、これがすべてではないと判っているが、同時に商売をしている人たちには経験的に判っていることの正しさを傍証してくれる有力な理論であることには変わりないと考えている。

ただこの理論には「古い」との批判も少なくない。 ここがまさにバイブル(聖書)と似ていて、当初の理論をビジネス的にはどう解釈するか、人によって意見が異なるのである。 もともとの戦闘機の空中戦における統計結果に基づいて公式化したのがランチェスター戦略理論なので、それを戦闘機のように機能が明確で、一機、二機と数えられるものと、販売戦略のように目に見えない武器を使い、しかも単純に数えられないものを相手にすること自体が、かなりチャレンジングといわざるを得ない。 結論としても、強いものが勝つ、弱いものが勝とうとするときは相手の弱点を突く、という至極当たり前のことをやりましょうと言っている訳で、孫子の兵法にもおそらく出ているであろうという内容である。 

とは言え私が好きなのは、この理論を販売戦略に取り入れようという地道で誠実な努力の跡があること、そしてこの理論を後ろ盾にに販売のイロハを誰でも判るテキストブックに置き換えたところだ。 かつての高度成長期のようにシェア第一主義の中で非常に影響があった戦略論であり、いまのように停滞している時期だからこそ改めてこういう「元気のいい」理論を勉強してみてはどうかと思う。

2010/08/07

企業とは・・・

ある大手企業の役員、顧問をされていた方にアドバイスを得る機会をいただいている。 得心の行く言葉、覚えておきたい言葉をat randomに。

  • 企業はまず利益を出すことが先決。 次にそれを継続することが義務。
  • 企業というのは儲けた金をすべて従業員に分け与えると従業員は本気になる。 実際には企業の儲けと従業員の収入が連動していないので、何のために働いているか判らなくなっていることがある。 与えられた仕事を自分の思うとおりにしたいがために、結果として儲けに関係のないこと、あるいはそれに逆行することに情熱を燃やしていても気づかないことが出てくる。
    (最近の韓国、台湾のメーカー、あるいは日本でもかつての成長期はこうだった。 個人の利益と会社の利益が一致している。)
  • 市場の先行きを見通し、このままでは危ないと判ることがある。 ただ周りの人はそれに気づかず太平を謳歌している場合、一人で騒ぎ出すと潰されることが多い。 まず仲間を増やすこと。仲間の手柄にしつつ、自分で気づくように仕向けること。 仲間が出来たら小さいチームを作って新たな対策を打つためのプランを短期勝負で作ること。
  • 自分の足と頭でプランを作ることが減ってきている。 ある企業で10のチームにあるプロジェクトを進めるための戦略を作らせたら、まったく同じ内容のプランがいくつか混ざっていた。 プランとしては綺麗に出来ていたが、ネットからコピペしたからそうなった。 怖いと思うのは、10のチームに作らせたから判ったが、もしそうしていなかったら・・。
  • 50歳代は人生の岐路。いままでの経験や知恵を若い人、周りの人にダウンロードする時期。 一方でダウンロードを始めるとあっという間に枯渇するので、人脈を増やして、より多くの知見を吸収する必要がある。

2010/06/13

日本の最大の貿易相手国はどこか。 円は本当に高いのか。

学生時代から30年近く、GNPや貿易統計に触れる機会はなく、世界における日本、あるいは日本のアジアにおけるポジショニングが大きく変わっているのにあまりにも無関心だった。先日(2010年)聴講した講演において寺島実郎氏が配った資料の中のデータを見て愕然とする。

*近隣諸国に対する日本円の円安化(2000年平均と2007年平均の比較)
中国人民元      19%*
シンガポール$   25.1%
韓国ウォン      32.9%
ロシア・ルーブル   20.4%
豪州$        57.9%
*対外貨に対して日本円が19%安くなっているということ

 残念ながら米ドルが出ていないのだが、2000年前半は105-6円だったのではないか。それが2010年で91円程度で推移している。明らかに円高である。これだけ日本経済が弱っているのになぜこんなに円が高いのか不思議でならなかったのだが、これも円の強さを米ドルだけで測っていたための誤解だろう。実際には日本周辺の国のなかで円は圧倒的に弱くなっている。ドルに対して強いのは、データの裏づけはないが金融的な投機の対象になっていて実勢を反映していないのではないか。
 次に、上述した経済力の「小さな」国々をいくら集めても、日米間の貿易額の巨大さと比較しても大した影響はないだろうという私の古い常識がいかに間違っているかを突きつけられるデータを挙げる。

*日本の貿易相手国シェアの推移
1990年 米国 27.4% 中国 3.5% 大中華圏* 13.7% 
2002年 米国 23.4% 中国 13.5% 大中華圏 24.9% 
2007年 米国 16.1% 中国 17.7% 大中華圏 27.8% 
2009年(12月) 米国 12.8% 中国20.5% 大中華圏 30.8%
  note * 香港、マカオ、シンガポールなど中国語を話す国家

 くどいが私のイメージでは米国は50%を超える貿易相手国である。それは30年前の話で、まず1990年の段階ですでに米国は約4分の1になっている。驚くべきは2002年からの中国語圏の膨張ぶりだ。まず同年に米国との貿易額を中国語を話す国家群の合計(以下大中華圏)で超える。さらに2007年に中国単独で、米国との貿易額を超える。そして直近のデータでは中国は米国の倍に迫り、大中華圏に至っては3倍に迫ろうかという勢いである。

この結果を見て、日本との貿易で中国は頑張っているねえなどと気楽に考えてはいけない。東アジアは日本というよりも世界に対して大変な影響力を持ちはじめている。

*2009年 世界港湾ラインキング (コンテナ取扱量)
1位シンガポール、2位上海、3位香港、4位深セン、5位釜山、
6位広州、7位ドバイ、8位ニンポウ、9位チンタオ、10位ロッテルダム、11位ハンブルグ、12位高雄・・・ 

ベストテンの何と7つの港が中国、または中華圏である。 
韓国も5位と12位と健闘している。
日本は20位以内にはひとつも出てこない。26位にようやく東京が、36位に横浜、39位名古屋。神戸に至っては44位である。
かつて世界最大の港であった横浜、神戸の順位がここまで落ちているという惨状を見るのはショックを通り越して呆然である。 

 無論貿易というものは双方に利益があるから起こるものであって、この数字だけをとって「中国の経済侵略」などと騒ぐのは愚の骨頂で、日本で作るより安いから周辺各国に作ってもらっている訳で、その利益を日本人は享受していることを忘れてはならない。100円ショップにあれだけの商品が陳列されているのはその判りやすい例だ。 
 ただこの10年間は後年経済史のターニングポイントと位置づけられるかも知れないほどの大きな変化が起きており、それは中国を中心とした新興国家の高度成長がもたらしたものだといえるだろう。では日本は同じ土俵で負けないように努力するべきなのか、それとも違う価値観を作り上げる事で国際競争力を上げていくべきなのか、すぐに解の出ない大きなテーマが目の前に横たわる。

2010/04/24

「儲かるかどうかで決める」


 ある海外の大手企業の経営者に、経営判断するときの基準は何か聞いたところ、「儲かるかどうかで決める。」と答えた。 改めていま文字にすると何も面白くない、当たり前の回答に思える。 しかしそれを聞いたときはある意味新鮮であり、ある意味違和感を覚えた。 さらに続けられた言葉は、「我々は商人であって、SAMURAIではないですよ。」 ・・・そこに違いがあるのかと気付く。 自分は、儲けるというよりも、いい仕事をしたとか、人に喜ばれたという一種の美学に重きを置いているように思える。 これは日本人には多い傾向だろう。 この経営者の方も、決して銭亡者や短視眼ではなく、戦略的な投資を考えられる優れた人格者だ。 しかしビジネスをやっている以上は商人であって、カッコがいいという前に、しっかり商売として成立するところに重きをなす、と言う意味で割り切れている。 そうしないと、率いている社員や家族を路頭に迷わせることになる。 自分の美学のために人を危機に陥れていいのか、ということだろう。
 似た話を最近聞いたのが、囲碁の世界で最近日本人は全く勝てない。 韓国、そして最近は本家の中国が日本のタイトルを総なめにしていく。 ある韓国出身の棋士が曰く、韓国・中国の棋士はかなりアグレッシブに勝負に出てくるので日本人が勝つのは難しくなっている。 ただ日本人には勝ち負けよりも、どういう手を打ったかを重視する傾向があり、仮に勝てても、そういう手は打ちたくないという美学がある・・ように見えるらしい。 
 こういう話を聞くと、どちらがいい悪いというよりも、人生における価値観の違いに思える。 囲碁の話で少し嬉しいのは、若年・壮年の囲碁は日本人はなかなか勝てないが、シニアになると日本人の方が強いのだそうだ。 
 

2010/04/08

化学の勉強


 訳あって突然化学の本を読み始めている。 高校生あるいは、私のような「理系落第レベルの文系」向けの本で、折を見て、またそれぞれをまとめようと思う。 

 動機は別として化学を再勉強してみて本当に良かったと思う。 なぜ高校生のときには全く興味がわかなかったのだろう。 先生の教え方の問題だと片づけていたが、考えてみると皆同じ教材に同じ教師で、片や理工学に進む人、片や私のように先生の御情けで危うく留年を免れた人間もいるわけで、やはり自分の責任としか思えない。 
 まずは読んでいて関心したことをいくつか挙げておく。 この程度のことを何故関心するのかと言われそうだが、基本中の基本に真理があったりもする。

★化学は、物質とは何か、なぜその物質が存在するのかを探求する学問。
★原子の中には真ん中に陽子、中性子があって核を形作り、周りを電子が回っている。
★実は陽子や中性子もさらに細かい粒子で作られていて、ここは素粒子論の世界。 日本人がノーベル賞をとるのはこの分野で日本のお家芸。(しかし日本の高校では素粒子論のイロハすら教えていないので研究者は将来を心配している)
★原子がいくつか繋がって分子となり、これがいろいろな種類の物質の基本単位となる。 
★分子(その中の原子も)は実は常に猛烈なスピードで飛んでいる。 分子同士でぶつかり合っている。 物質はそういう常に振動している分子によって形作られている。
★火が燃えるのも、熱いお湯に手を突っ込んで熱く感じるのも、すべて分子同士のぶつかり合いから起こる化学反応だ。 
★分子というものはトンデモナク小さい。 ピンポン玉を手に取る。 このピンポン玉が、それを形作る分子の一つだと仮定すると、ピンポン玉そのものは地球の大きさに匹敵する。 そういう超ミクロの世界。
★2000年前のクレオパトラ。 彼女を構成していたH2Oや炭素、鉄などの物質は、土に、海に、空気にばらまかれ、2000年後の我々ひとりひとりの体内に広く行き渡っている計算になる。 つまり物質は分子単位で地球の中で循環している。
★分子、というより化学全体に共通するルールは、みな楽をしたがり安定を好むということ。 エネルギーが充満していると、なるべくそのエネルギーを使い切って安定しようとする。
★そのために電子をくれてやったり、貰ったりして、分子は楽をしたがる。 取引される電子が、すなわち電気となる。
★化学という学問は、未知の領域がまだまだ山ほどあり、人間の叡智をしても全容が分からないこれからの科学である。 学校で学ぶのは、探求をするために必要な道具の使い方だ。

 いまのところせいぜい分数程度の数学しかでてこない本なので読み続けられている。 まずはこの程度の理解はしておきたい。 お陰さまで、最近、身の回りにある物に対する見方が少しだけ、変わったような気がしている。

なぜミーティングが多いのか


 外資系の企業で長く役員を務められた方と、自分の会社ではミーティングが多いと言う話になったときに、スパッと一言で言い表された言葉。
 「ミーティングが多いのは、権限が与えられていないからだ。」

 ミッション設定、業務分掌など、仕事の責任を個人に負わせる仕組みは高度に発達してきている。 その一方で、権限をしっかり規定していることが少ない。 そうすると、責任を持たされた人は、後で文句を言われないように、ミーティングを招集し、みんなで決めて責任を分散しようとする方向に働く。 ところがせっかくみんなが集まっても、なかなか決められない。 なぜなら誰も権限を持っていないから。 だからまた会議が続き、会議をやるために確認事項と称して宿題がどんどん増えていく。

 反省を込めて言うと、責任分担を明確にすることに大変な労力を使っていたが、その責任と役割を遂行するための権限を規定することにはあまり時間を使ってこなかったと思う。 つまり権限をしっかり考えることで仕事が加速するということ。 問題の根本が分かれば解決のしようも出てくる。

2010/04/01

旬の決断 -斉藤茂太の随筆から


 「絶対に間違えたくない、失敗したくない」 そういう決断に際して、人はなかなか決めることができない。 あーでもない、こーでもない、と決断が延びる。 そのうちに胃が痛くなってきて、もうどうでもいいや、という気にすらなる。 

 なぜこうなるかというと、ここで決めてしまった後で、「もし失敗したらどうしよう」とか、「もしもっといい選択肢が後から出てきたら悔しい」、ということを考えてしまうから。 そんなときに、必要なのはいま一番いいのは何か、という基準で物事を決めていくこと。 その上で、その選択が一番いいのだと信じ込むことである。

 物事を決めるにはタイミングが必要だ。 だらだらと考え続けて機を逸することも多い。 決断も旬を尊ぶべきだろう。 確かに人間は神様ではないのでその先、想定外のことも起こるだろうし、結果として失敗することもあるだろう。 そんなときはどうするか。 またそのときの、旬なベストを選択することだ。 

 ・・・年齢が若いときには失敗してもリカバーする体力も気力もあるので、失敗を恐れない。 年齢を経ると失うことも多くなるので、リスクをとることにより大きな勇気が必要になる。 斉藤茂太のこのアドバイスは実は中高年に向けたメッセージだ。

2010/03/11

会議を効率よく早く終わらせる方法(Facilitation研修から)

 だいぶ前に受講したファシリテーション研修で学んだこと。 

冒頭に会議の目的を説明する

制限時間を確認する

会議終了時にどういう成果物が欲しいかを説明する

 そしてこれを出席者全員と合意する訳である。 基本中の基本なのだが、実際にだらだら会議をしている場合は、ほぼ間違いなくこの合意が取れていないか、甘いまま始めている。 

 なお、目的が必要なのは会議だけではないだろう。 プロジェクトにしても作業にしても、どうもうまく進んでいないケースはほぼ間違いなく目的が分からなくなっている。 
基本というのは、年を経ると案外忘れ去られることが多い。 習慣づけることが大切。

2010/02/26

データ記録のメディア

 家内にHDD、フラッシュメモリーの違いを説明せよと言われて、巧く説明できなかった。 NHKの教育番組で分かりやすく説明していたので、メモする。

HDD (ハードディスクドライブ)
 レコードとレコード針のようなものがボックスの中に入っている。 レコードの表面には磁力を帯びやすい薬液が塗ってある。 レコード針には電圧がかかっていて、レコードをなぞるときに電圧を掛けて表面に磁石を作っていく。 S-N, S-Nと小さな磁石がレコードに作られていく。 このときにS-Nだけでなくて、N-Sの磁石も作れる。 電圧のかけ方を反転すればそれができる。 2種類の磁石が出来ることで、0と1を表すことができる。 たとえばS-N, S-N, N-Sは1, 1, 0という具合。
 レコードは実際には金属のディスクで、針はレコードには接触していない。 非常に微細な動きが重要になるために、箱の中にいれておいてゴミなどが入らないようにしないといけなく、かつ振動に弱いのが弱点。

Flash memory
 半導体の特徴である、電圧を掛けると電流が流れ、掛けないと電流が止まる。 これによって0と1を作り出すのが元々のコンピュータの仕組。 半導体は電気が入っているときはこうなるが、電気を切ると、0も1も無くなってしまう。 電気を切ってもそのまま0と1が残るようにするために、酸化膜の絶縁体を利用している。 この絶縁体に電圧がたまるようにしておき、電流が流れる状態、あるいは流れない状態を半導体に維持することで、0と1を記録できるようにしたもの。
 課題は、ミソである絶縁体の劣化。 しかも、メモリー容量が大きくなると、その分半導体それぞれを小さく作る必要があり、絶縁体部分もより薄くなり劣化もしやすくなるという宿命を持っている。

Optical Disc
 CD, DVD, BlueRayがそれにあたる。 お皿の溝を作り、その物質に光を当てることで化学変化させて、0と1を作り出す。 ・・・これだけ。 光ディスクは説明が難しいのか・・。

情報は何故ビットなのか 矢沢久雄 日経BP

 その後、IT系の入門書を飛ばし読みしていくなかで、この情報は何故ビットなのかに面白い事例などが書いてあった。著者の矢沢さんという方は、文章が上手だし、大変分かりやすいので関心する。実はもう人にあげてしまったので、詳細は覚えていないが、ビットの説明のところの例えが分かりやすかった。

 コンピュータの基本は0と1を使って計算をするところにある。 ゼロかイチかは一桁あれば示せる。 これが1ビット。 例えると、一人の人間が1本の手旗を持っていて、上げるか下げるかする状態。 手旗信号である。 これで、少なくともYESとNOのように二つの意味が表せる。 つまり1ビットで2つの意味を表す。

 手旗が2本あれば、一気に四つの意味を表すことができる。 8ビットなら256通りの意味を表すことができる。 これは4人が両手に手旗を持って、上げたり下げたりしていることと一緒。 

 

2010/02/22

事業計画を作るとき

 大きな会社で、その販売部門の立場で事業計画を作る際の責任者の心構えというものを、先日ある人から聞いた。 これが100%正解かどうかは、その会社のポリシーにもよるという批判精神も持ち合わせた上で聞くべきだが、高い授業料だったので折角だからノートしておく。

1.本社の方向性を理解していることを示す
 会社たるもの、トップの意志、会社の戦略は絶対で、その実現に腐心する必要がある。 事業計画の全体を見渡して、その指示を実行しようとしているかどうかがまず重要。

2.過去、現在のReviewを行って自らの行動を解析する
 売上の状況報告は勿論だが、マクロ的にマーケットの状況を説明し、その上で、どういう対策を打ち、巧くいったか、巧くいかなかったらならばそれは何故で、どういう反省があるかを率直に述べるべき。

3.翌年の事業計画は、Reviewをなぞる
 Reviewをベースに、市況はどうなっていくのか、それに対して、前年の反省を元にどういう手を打つかを書く。

4.売上計画を市況そのものとリンクさせない
 市況が10%上がるから、売上も10%上がる。 あるいは下がるというように風が吹いたから船が動いたというのではその市場をマネージしていない。 マーケットが不活性なら、不活性なりに、可能性のありそうなセグメントを見つけて、どういう手を打とうとしているかが述べられている必要がある。 

5.強い商品をどう生かすか
 強い商品を巧く使う必要がある。 すべての顧客に使っているか。 すべての地域に使っているか。 強い商品をパッケージ化して弱い商品と一緒に売れる工夫をしているか。

6.リスクヘッジ
 もし打つ手が当たらなかった場合にどうするか、その準備がなされていないといけない。 2の手、3の手を用意しておく必要がある。

7.本社の指標
 指示が出ているいくつかの指標をどう改善してきたか、どう改善していく計画かが述べられている。 成長率、D/S、利益率等々

8.経営と変革のバランス
 変革には投資が必要だが、だからといって大赤字が許されるわけではない。 Transformationが求められている場合、そのための人的、物的投資をするから、SGAが上がりました、というのでは経営にならない。 増やすところは減らすところとパッケージにすることで経営のバランスをはかられていないといけない。

9.本社が描く成長戦略とのバランス
 本社がどうビジネスを大きくしようとして、どう構造改革をしているかを見極めて、自らの部門はそのコピーになるべく努力していることが示されている必要がある。 市場や構造的な問題で、自らの部門の状況は会社全体の中でかなり偏っている場合でも、全社戦略のどこかの部分を受け持っていることを示す。

 

2010/01/10

経済学とポールサミュエルソン


 先日ケインズ学派の大御所であるポール・サミュエルソンが亡くなって、大学のゼミで教科書として使った「経済学」を持ち出した。 もう捨てたのだろうと思っていた赤い装丁の分厚い上下の本。 これを使ってゼミの合宿で3日徹夜で議論したことを思い出す。 いまざっとページをめくると、あれだけ散々勉強させられたからほとんど覚えていると思っていたのに、初めて見るような言葉がずらっと並んでいるのでがっかりする。 基礎中の基礎である需要と供給曲線はかろうじて覚えているものの、縦軸と横軸のどっちがどっちだかちょっと考えないと判らない。
 80年前後はサプライサイド学派が台頭し、もう一方の大学者であるミルトン・フリードマンの本もこっそり読んでいたものだ。 ケインズ学派が公共投資などの外科医的な経済政策を採るのに対して、サプライサイドはイギリスのサッチャー、アメリカのリーガンがとったように規制を撤廃した自由競争によって成長させる経済政策を採る。 その時点での経済環境や政治環境にあわせ、それぞれ役割を果たしてきた。 いまの日本に必要なのはどちらなのだろう。 
 いづれにしても、いまこの「経済学」で習ったこと、つまり私が判る程度の純粋理論だけでは説明できないことがいろいろ起きている。 国力が落ちているのに円が高いままとか、金利がここまで下がっているのに投資が増えないとか。 
 この本で学んだ「規模の経済」と、「構造の誤謬」ということばはよく覚えている。 規模の経済はつきつめて言うと、大きい方がより効率的に効果が出ること。 強いものが勝つとも言い換えられるだろう。 構造の誤謬というのは、自分にとっていいことでも、みんなが同じ事をすると、結果として自分を含めてみんなが困ること。 例えば、景気が悪いからお金を使わずに居て自己防衛する。 個人としてはそれで賢い選択だが、みんながそれをすると景気全体がさらに落ち込むこと。 金融危機のいまだからこそ、身にしみて実感する。 いずれまた景気が良くなってくると、これもまた人事のように思えてしまうのだろう。 というかそう思いたいね。

2010/01/04

言語世界地図 町田健 新潮新書


 世界の言語のうち46の言語を紹介している。 ひとつの言語を3-4ページで紹介しているので簡潔で分かりやすい。 世界言語小辞典抜粋位のつもりで本棚に一冊置いておくといいような本だ。 海外旅行を計画するときに、行こうとしている国の言語の分類、歴史、周辺国の言語との関係を頭に入れておくのはいいことだが、そんなときの整理にも使える本である。 ここでこの本に書かれている46言語の抜粋を書き残すのは意味がないので、いくつか思い出深い言語についてメモする。

 トルコ語。 仕事で東欧を担当していたときに、トルコ支社の人間がよくアゼルバイジャンと商売をしていた。 何となく使っている言葉がわかるというのだ。 この本でも、アゼルバイジャン、キルギス、ウズベクなど中央アジア一帯で話される言葉はチュルク諸語と呼ばれる同じ仲間であることが紹介されている。 いまトルコに住んでいる人たちは見た目から言うと、中央アジアというよりはイラン、アラブ、バルカンの人たちに近く思えるが、同じアジアの同胞である日本人への親近感は強かった。 

 中欧諸国のスラブ系言語。 同じく東欧担当をしていたときに、各国のお客さんを一か所に集めてミーティングしたことがあった。 クロアチア人、スロベニア人は全く問題なく話ができる。 この本にも書いてあったが、ほぼ同じ言語と言っていい。 彼らがチェコ人とも有る程度会話が成り立つことを発見して、自分達も驚いていた。 オーストリアとハンガリーに隔てられ、数百年間は直接の行き来がなかったはずである。 チェコとスロバキアも、これは方言で、全く問題なく会話ができる。 チェコとポーランドも、ある程度可能だそうだ。 ポーランド人に言わせるとチェコ語は、なんとなくふざけたような、軽い印象を受けるとのこと。 さらに言うと、ポーランドやロシア語は中央スラブの人々にはかなり堅苦しい印象になるそうである。 ところで、ここまで近い言語は方言と呼んだ方がいいのではないかとかねがね思っていたが、本書の中でも、「言語」の定義は実はかなり難しいそうだ。 政治的な意図で、自国語を他国言語の方言と認めない人も多いだろう。
 そういえば中国は省ごとに方言がある。 発音の音階が違うだけでなく、単語自体が違うことは珍しくない。 お互いに通じないということからすると、方言ではなく言語と呼んで差し支えないと著者も言っている。

 また東欧に戻る。 ルーマニアはローマ人の土地という意味だそうで、そうなるとイタリア語と通じるのではないかと思っていた。 たまたまイタリア人の部下を連れて出張する用事があったので、どんなものか調べてみたところ、イタリア人はルーマニア語は全く分からない、ルーマニア人はイタリア人の言葉を少し分かる、ということだった。 この本によれば、古いイタリア語(つまりラテン語)の要素をルーマニア語はかなり残しているとのことだった。 そう言えば、カナダのケベック州で使われるフランス語はある意味正統フランス語で、いまは使われない単語や言い回しが多いと書いてある。 ケベック州で作られたテレビドラマをフランスで放映するときは字幕が出ているそうである。 

 オランダ語が英語に良く似ていることにもビックリする。 本書ではオランダ語はドイツ語の方言の一つと書いてあった。 とすると英語はオランダ語の方言だろうか。 オランダのテレビにはろうあ者用に字幕が出ているが、それを読むと英語に非常に近いために私ですら何となく分かる。 アムステルダムに赴任していた仲間が、街で英語で話しかけられたと思ったら、それはオランダ語だったということがよくあったそうだ。 そうだろうなあ、と思う。 
 ということでオランダ人は皆英語が出来る。 日本でたばこ屋のおばさんが英語がペラペラだとかなりビックリするが、オランダでは本場のイギリス人なんぞより、たばこ屋のおばさんの方がよほど綺麗な英語を話す。 日本人は英語が世界で最も下手な民族だと思っているが、やはり日本語と英語の距離の問題が大きいだろう。 並列に比較されては酷というものだ。

 では日本語には仲間はいないのか? 朝鮮語とは文法的に非常に似ている、というよりほぼ同じと言っていいそうである。 ところが単語などは殆ど一致することばがないそうで、言語学的にはどちらかがどちらかの親とか兄弟という関係ではないそうである。 言葉は何処から来て、どういう変化をして今日に至っているのか。 興味が尽きない。

2010/01/02

比較言語学入門   岩波文庫 高津春繁


 比較言語学の入門書として評価が高い文庫本だが、本格的な研究を目指す人向けで私には少々難しかった。 書かれたのは1950年で、決して文語調ではないのだが、ひとつの文が5行位の長さで、その中に句が7つあるものもあり、かなりじっくり読まないと意味を見落とすほど、ち密に書かれている。 読む方にとっては大変だが、著者がかなりの学識をもって、一つ一つの句や文にたっぷりと情報を詰め込もうとしている姿勢が伝わる。
 言語に興味を持ち、その興味を学問の形で収めたい場合には、どこから始めるか、まず比較をしてみなさい、というのが導入部だ。 そして、比較方法の種類を、具体例を挙げながら解説していき、最後に言語を比較することによって得られるものは何かを説明している。
「言語の観察は人類の歴史の中においておそらくもっとも古いもののひとつに属している・・」という書き出しは、自分達が使っている言葉と違う言語で会話をする人たちに接したときの素直な驚きは古今東西、万人共通のものなのだと改めて思わされる。しばらくするとその驚きは、言語の違いはどこから来るのか、という興味に変わる。であれば、その言語を比較してみようということで、実際に数多くの比較事例が挙げられている。
 著者は印欧語が専門でイギリスへの留学経験もある。サンスクリット語は仏典に使われる言語という知識しかなかったが、現代のヒンディー語に大きな影響を及ぼした古インド語とでも呼ぶべき言語だが、いまは死語である。 18世紀末にイギリスのWilliam Jonesがヒンディー語がヨーロッパ言語と非常に近い関係にあることを発表したときは大きな衝撃だったようだ。 このサンスクリット語からペルシャ語、ギリシャ語、そしてラテン語やゲルマン系の諸語を比較すると面白い結果になる。 例えば、英語のfatherに相当する言葉は、pitar (サンスクリット)pitar (古ペルシャ)pater (ラテン)fadar (ゴート)。また英語のbe動詞のisや、ドイツ語のistに相当する言葉は、asti (サンスクリット)asti (アヴェスタ語・ペルシャのゾロアスター教の経典に用いられている言語)esti (リトアニア語)est (ラテン)ist(ゴート)である。 東はインド亜大陸から、西はブリテン島に亘って広がり、しかも2000年以上の時の隔たりがあるにも関わらず、ただならぬ近似性があるのは驚きである。ただ全く一緒というわけではない。例えばfatherに関しては、ゴート語だけがfで始まる。さらに詳しく調べると、fadar (古アイルランド語)faeder (古英語)fater (古高地ドイツ語)というようにゲルマン系の言葉はfで始まることが分かり、これはゲルマン諸語がそれ以外の言葉と近しいながらも何らかの相似性をもってまとまって発展してきたことを示唆する。 このようにこの本では、言語同士を比較をすることから、違いや同一性を発見して、さらに掘り下げていく手法を説明してある。 なお著者はギリシャ語に造詣が深く、この比較列挙でもギリシャ語が必ず例示されているのだが、字体がいわゆるローマ式アルファベットではないため、そもそも読み方が分からず発音がまったくイメージできないので記載しなかった。
 単語を比較すると、その単語はどの言語から発生したものか、さらには同じ語族にはその共通した基本言語があったのではないか、と興味が深まってくる。 著者は、その面白さを解説すると同時に、その難しさも説明していく。 例えば言語変化は、時間、地域、文化によってそのスピード自体が変わるので、何度も変化してきた単語が、古くからある単語とは言えないことなどを挙げている。 

 とはいえ、いろいろな言語を研究していくなかで、おぼろげながら、原型となる言語が見えてくる。 それがまた諸言語を体系づけることに大きな役割を果たす、そこに比較言語学の価値がある、と結論づけている。
 一読しての感想。学者というのは大したものだと思う。よくこれだけ調査し、真面目に文章を書けるということ。とにかく例示される言語の数が多い。いまも国名や地名として残っている言語だけでなく、アヴェスタ語、古代教会スラブ語などの宗教語、リュキア語やらヒッタイト語など文化と話手が消滅した言語など、枚挙にいとまが無い。研究の素材となる文書は遺跡や道端の記念碑、あるいは教会の奥深くから出てくるのだろうが、これらを発見し調査してきた研究者たちの努力と、18世紀から蓄積されてきた研究結果の層の厚さを感じる。

  それにしても、言語の歴史は人や文化の移り変わりの歴史そのものだと言うことが良く分かる。主に西欧で始まった言語学であるが、本来なら日本ではもっとアジアをテーマにした研究が発達してしかるべきだったと著者が語っているが、確かにもっと言語学的なアプローチの下でのアジア史観に関する本があると面白いだろう。 ことばという文化を背負ってどのように人々が移動していき、変わって行ったか、空想をかきたてられる。