比較言語学の入門書として評価が高い文庫本だが、本格的な研究を目指す人向けで私には少々難しかった。 書かれたのは1950年で、決して文語調ではないのだが、ひとつの文が5行位の長さで、その中に句が7つあるものもあり、かなりじっくり読まないと意味を見落とすほど、ち密に書かれている。 読む方にとっては大変だが、著者がかなりの学識をもって、一つ一つの句や文にたっぷりと情報を詰め込もうとしている姿勢が伝わる。
言語に興味を持ち、その興味を学問の形で収めたい場合には、どこから始めるか、まず比較をしてみなさい、というのが導入部だ。 そして、比較方法の種類を、具体例を挙げながら解説していき、最後に言語を比較することによって得られるものは何かを説明している。
「言語の観察は人類の歴史の中においておそらくもっとも古いもののひとつに属している・・」という書き出しは、自分達が使っている言葉と違う言語で会話をする人たちに接したときの素直な驚きは古今東西、万人共通のものなのだと改めて思わされる。しばらくするとその驚きは、言語の違いはどこから来るのか、という興味に変わる。であれば、その言語を比較してみようということで、実際に数多くの比較事例が挙げられている。
著者は印欧語が専門でイギリスへの留学経験もある。サンスクリット語は仏典に使われる言語という知識しかなかったが、現代のヒンディー語に大きな影響を及ぼした古インド語とでも呼ぶべき言語だが、いまは死語である。 18世紀末にイギリスのWilliam Jonesがヒンディー語がヨーロッパ言語と非常に近い関係にあることを発表したときは大きな衝撃だったようだ。 このサンスクリット語からペルシャ語、ギリシャ語、そしてラテン語やゲルマン系の諸語を比較すると面白い結果になる。 例えば、英語のfatherに相当する言葉は、pitar (サンスクリット)、pitar (古ペルシャ)、pater (ラテン)、fadar (ゴート)。また英語のbe動詞のisや、ドイツ語のistに相当する言葉は、asti (サンスクリット)、asti (アヴェスタ語・ペルシャのゾロアスター教の経典に用いられている言語)、esti (リトアニア語)、est (ラテン)、ist(ゴート)である。 東はインド亜大陸から、西はブリテン島に亘って広がり、しかも2000年以上の時の隔たりがあるにも関わらず、ただならぬ近似性があるのは驚きである。ただ全く一緒というわけではない。例えばfatherに関しては、ゴート語だけがfで始まる。さらに詳しく調べると、fadar (古アイルランド語)、faeder (古英語)、fater (古高地ドイツ語)というようにゲルマン系の言葉はfで始まることが分かり、これはゲルマン諸語がそれ以外の言葉と近しいながらも何らかの相似性をもってまとまって発展してきたことを示唆する。 このようにこの本では、言語同士を比較をすることから、違いや同一性を発見して、さらに掘り下げていく手法を説明してある。 なお著者はギリシャ語に造詣が深く、この比較列挙でもギリシャ語が必ず例示されているのだが、字体がいわゆるローマ式アルファベットではないため、そもそも読み方が分からず発音がまったくイメージできないので記載しなかった。
単語を比較すると、その単語はどの言語から発生したものか、さらには同じ語族にはその共通した基本言語があったのではないか、と興味が深まってくる。 著者は、その面白さを解説すると同時に、その難しさも説明していく。 例えば言語変化は、時間、地域、文化によってそのスピード自体が変わるので、何度も変化してきた単語が、古くからある単語とは言えないことなどを挙げている。
とはいえ、いろいろな言語を研究していくなかで、おぼろげながら、原型となる言語が見えてくる。 それがまた諸言語を体系づけることに大きな役割を果たす、そこに比較言語学の価値がある、と結論づけている。
一読しての感想。学者というのは大したものだと思う。よくこれだけ調査し、真面目に文章を書けるということ。とにかく例示される言語の数が多い。いまも国名や地名として残っている言語だけでなく、アヴェスタ語、古代教会スラブ語などの宗教語、リュキア語やらヒッタイト語など文化と話手が消滅した言語など、枚挙にいとまが無い。研究の素材となる文書は遺跡や道端の記念碑、あるいは教会の奥深くから出てくるのだろうが、これらを発見し調査してきた研究者たちの努力と、18世紀から蓄積されてきた研究結果の層の厚さを感じる。
それにしても、言語の歴史は人や文化の移り変わりの歴史そのものだと言うことが良く分かる。主に西欧で始まった言語学であるが、本来なら日本ではもっとアジアをテーマにした研究が発達してしかるべきだったと著者が語っているが、確かにもっと言語学的なアプローチの下でのアジア史観に関する本があると面白いだろう。 ことばという文化を背負ってどのように人々が移動していき、変わって行ったか、空想をかきたてられる。