2013/11/17

目標設定時のチェックポイント



 今の自分(或いはティーム、組織)と将来のあるべき自分を比較し、そのギャップをどう埋めていくかが目標達成のための典型的な手法。その際の目標の作り方が案外難しい。
 日本語で言うと「こうありたい」、「こうあるべき」、「こうなっているんじゃないか」、「こうなりそう」・・どれもニュアンスが似ているのだが、論理的にはかなり違う。

図1 3つの輪 目標設定のときは、実現できる範囲で、自分もそうでありたいと願えて、第三者的にもそうあるべきでありたい。
 Ready(あるべき), Able(ありそう)、Willing(ありたい)が合致したところを見つけて、そこを目標と定めるのが現実的な設定方法とのこと。
 つい、精神論から根性を持ち出して、とても達成できそうのない目標にして、自分で自分を苦しめることがある。無論、人生に何度か勝負時があって、ReadyとWillingが一致するところに設定せざるを得ないこともあるが、まずは基本に立ち返ろう。

2013/10/09

戦略思考トレーニング 鈴木貴博氏


ボストンコンサルティング出身の方の本はよく読むが、この「戦略思考トレーニング」は堅くなく、クイズ形式の軽い本。でも面白く、考えるための題材がいろいろ入っている。
研修講師などもここからアイデアを拾っているケースをたまに見かける。
  • コカコーラは何を入れて売っている?
    • スティーブジョブスがペプシのCEOだったジョンスカリーを"Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?"と言って口説き落としたことを聞いて、コカコーラのトップが言ったのは、「われわれはdreamを入れて売っている。」
  • ハインツのケチャップはビンから出てこないので使いにくい。
    • そういう理由で、圧倒的なシェアがどんどん落ちていった。そこで打った広告が、「ハインツのケチャップは中身が濃いのでなかなか出てきません。」 それによって消費者のイメージが変わり、シェアが再び上がった。
  • ラーメンなんか知らない、カップめんなんぞ見たことのないアメリカ人に向けてカップヌードルをどう売り込んだか?
    • 「これはスープです。」 アメリカのスーパーではスープは売られていた。
  • 90年代終わりにベガというブランドの平面ブラウン管テレビが大ヒットした際に、ソニーのトップは何を言ったか?
    • 「これでウチのテレビ開発は15年遅れた。」先を見抜いた言葉だが、その対策は取れなかった。
  • かつての超高収益企業のインテルやマイクロソフトを引き合いに、基幹部品製造こそ高収益の秘密だ、とされていたのに対して、ハーバードビジネススクールのクリステンセン教授は・・
    • 「性能が不十分」であることが高収益の鍵だ、と唱えた。HDDやメモリーメーカーは確かに高収益とは言えない。
  • IBMのプリンターの高級機種と普及機種は実は部品がまったく一緒だった。どこが違って値段に差をつけたか?
    • 「普及機種はソフトの制御によってプリント時間を遅くした。」 敢えて性能を下げて価格差をつけて、高級機種で利益を生もうとする戦術。
歯磨チューブの口を大きくして売り上げを大きくするとか、フィルムの枚数を増やして売り上げを増やすなどは有名な話。 内容によっては道義上どうなのか、と考える向きもあるだろうが、そういうビジネスの仕方を例示して、考えるのは楽しいこと。どういう戦略をとるかは最終的にはそれぞれの個人、会社が選んでいくもの。

2013/07/15

自国民を守る! 海外と日本の違い

 イギリスに住んでいるときに、さすがは元世界帝国と思えることが幾つかあった。その一つが世界の隅々で起こる事件にイギリス人が絡んでいることだった。ビジネスや学問、旅行はもとより、自分探しの放浪というのだろうか・・とにかくあちこちにいる。面白いのは旧植民地の移民もイギリス人なので、故郷に帰ると、例えば香港に居るBritish、つまりイギリス人ということになる。人種は関係ない。

 2000年前後と記憶する。インドのかなり山奥の固有文化を持つ地方で、親の決めた結婚を拒否して、実家に「監禁」されているBritishが居るということで大騒ぎになった。どう救出するかがメディアでも話題になり、軍事行動を起こして救出に向かうべきという議論が盛り上がった。結局、みずから逃げ出して帰ってきたと記憶している。
 最初このニュースを聞いても、全体の構図がよく分からなかったのだが、つまりインドの同地方出身の女性がイギリスに留学し、そのまま国籍を取ってBritishとなった、その後里帰りの際に親に地元での結婚を強要された、という話で、つまりアングロ=サクソン人ではなく、イギリス国籍を持った生粋のインド人女性なのだった。
 イギリス国家はBritishを保護することを強く求められている。実際に軍事行動を起こして救出に向かう事例は多い。欧州諸国の事情はよく知らないものの、おそらくこの姿勢は大きく変わらないと思っている。その際に、その自国民が何故そこに居たのかはあまり問題ではなく、そこに居るのが自国民であること自体が行動を起こす大きな動機になる。

 日本はどうだろうか。
 2004年にイラクで活動をしていたヨーロッパ各国、日本などのボランティアが誘拐され、人質になるという事件があった。「危ないのが分かっているところにわざわざ行くなんて、なんとハタ迷惑なことをするのか」。早く救出をするべきという反応よりも、自分で責任を取りなさい、という雰囲気だった。国際的な世間体を気にする内向き発想といえる。同じく人質となっていたフランスやイギリス人が自国に帰って大歓迎を受けたのと比べるとあまりにも違っていた。

2013/06/29

固定費を上げない工夫とタイミング

 或る大手製造業のトップは経理畑出身。たたき上げで修羅場をくぐっている。
とにかく固定費を上げないようにしている。増員は認めない。それどころか退職者が出てポジションが空いているのにも関わらず、なかなか代わりの採用を承認しない。開発用の検査機が壊れても、なかなか交換を認めない。部下からすると困ったものである。売上の調子は最高、利益率最高、いまどき年々右上がりである。なのに、この引締め。・・・単なるケチなのではないか、自分のボーナスをもっと上げるためのパフォーマンスではないか?
154407_752.jpg
 先日読んだ稲盛和夫氏の本でも触れられていたが、生産能力が上がると言って高い装置を導入しても、それによって製造コストが上がってしまうとしたら何にもならない。古い機械をだましすかしして作る方が、コストは低いまま、かつ実際の生産量も上がることがよくある。最新鋭という言葉に惑わされてやたら投資するのは考えものだという一節があった。

 以前勤務していた会社でも20年ほど前に、猛烈に成長した時期があった。仕事も増えるので仕方なかったろうが人員を大きく増やした。それが10年ほど前から市況の変化もあって右下がりになる。本来は資産であるはずの巨大な人員が、逆に足かせになっていった。
 一度ネガティブスパイラルに入ると、成長のための投資をする余裕もなくなるものだ。あり金すべてをつぎ込んで買った馬券はそうそう当たらない。却って泥沼にはまっていく。

 ビジネスが順調な時ほど、設備投資に対する考え方が緩む。勝って兜の緒をしめよ。
お金の余裕があるからこそ、成長のための重要な投資もしっかりと考えてできる。成功の確率も上がる。 
 ケチと評判の、このトップの舵取りは案外まともなのかも知れない。

2013/06/22

社員の多い日本と少ないイギリス




 イギリス赴任中には年に一度程度日本に出張した。その際に思い出したように驚くのはオフィスで働く人の多さだった。日本の本社はメーカーであり、海外子会社のように販売に特化した「軽い」組織ではないので、人は多くならざるを得ない。しかしそこを割り引いても、イギリスの自分が働くオフィスと比較すると、人が多いと思わざるを得ない。
何故なら後年、日本の販売子会社に出向した際も、やはり人が多いと感じたからだ。

オフィス全景 イギリスで働いていた時は実に効率的だと感じた。それぞれの役割分担と責任がはっきりしている。だから調整機能が必要ないので管理部門が小さい。直接お金を稼ぐ、営業やそのサポート部門の人員比率が高い。人員は少ないにも関わらず、朝は9時前に出勤する人が多いが、退社は4時頃というひとも少なくない。効率がいいのである。

  営業部隊は自宅から車で顧客を回る人も多い。この人たちは顧客と価格交渉や販売数量を決め、関係を維持する役割。
本部には営業と連携して、見積や受発注、細かい確認を電話で顧客と行うサポート人員がいた。役割分担が明確だった。もともと「個」を大切にする文化があるので、責任分担を明確にしておかないと、チームとしてうまく動かないからだろうと考えている。

 それと比べると日本の場合は、ある種民主的というか、集団を大切にする。だから「調整」というものに労力をかける。よって管理部門が大きくなる。そうすると社員が増えるので、ますます調整が必要になる。

 いいこともある。イギリスだと、役割分担がオーバーラップしておらずきちんと整理されているため、どこの組織にも責任を定義されていない仕事が降ってくると店ざらしになる。日本だと、何やかや言いながらも、誰かがやってくれる。ただし、それは全社的に考えると全体最適にならない、余計なことをしているのかも知れない。

 単純にどちらがいいと言い難いが、2013年、これから一人当たりGDPを上げなければ経済規模を維持できない日本は、イギリスやヨーロッパの効率の良いところは学んだ方がいい。

2013/03/16

継続する会社の企業統治システムとは?


 

 会社の目的は? ・・・利益を出すこと。 経済学の本に書いてある。
もう一つの目的は? ・・・できるだけ長く継続すること。 これも本に書いてあるのだが、実現するのは難しい。
 かつて私の学生時代、ソニーは戦後日本の象徴として「若い会社」として認識されていたが、そろそろ設立から70年を迎えようとしている。 シャープは昨年100年。 パナソニックもまもなく100年。 しかし一方で、いづれも経営が苦しく存亡の危機に瀕している(2013年3月現在)。 会社を長く続けることが如何に難しいかを痛感する。 

 世界で一番古い会社の一つとされているのはドイツに本拠を置くメルク。 約350年の歴史を持つ。 化学・薬品メーカーである。 1668年の創業なので日本では徳川家光の子、家綱の治世。 
非常に特殊なのは、その企業統治の仕方である。 

 まず、フランクフルト株式市場に上場しているにも関わらず、75%の株式はファミリーが所有している。ドイツはそういう特殊な上場基準を認めている。 
 次に、ファミリーが一種の持株組合的な組織になっていること。 350年も前の創業なので、現在は第10-12世代となっており、全部で200名余。いづれも家系図をたどればどこかでつながるという程度で、直接の血縁は少なくなっている。それぞれ教師、薬剤師、サラリーマンなど一般市民と同じ生活をしていて、ファミリーのトップは互選により選出される。
 さらに、メルクの株式はファミリー内でのみ譲渡が許され、基本的には子孫に受け継いでいく。
また経営と所有の分離が徹底されていて、所有者であるファミリーが直接日々の業務に口を挟むことはしない。 

 いま、多くの企業はその資金を株式市場からの直接金融に頼っている。銀行に頼っていた時代と比較すると圧倒的に資金調達が楽になる。アングロサクソン金融資本主義が日本にも浸透した結果である。 一方で、株主というより単なるマネーゲームをするファンドや、ワンクリック投資家の膨張により、非常に短期的な収益を求められるようになってきた。日本企業の本来の強さは、ソニー創業者の盛田さんが言っていたように「将来を見据えた経営」だったが、これがもろくも崩れ去ったのがこの20年間だった。

メルクのファミリーは、前出の通り、株式を子孫に残すことが責務となる。無論、配当が増えることは良いことであるが、それによって将来会社がなくなっては元も子もない。つまり健全な形で会社を長く続けることを宿命づけられている。それは、本来あるべき会社の目的、すなわち「収益と継続性」にかなっている。 決して同族経営が良いとか悪いとかではなく、私は、そういう長期保有の株主システムを現在の株式市場制度に加えることはできないかと思っている。 それが短期的経営に走らざるを得ない日本の企業を立ち直らせるための一つの有効な手段だと考えている。


2013/01/06

Product Lifecycleの山の裾野

 ある日本でも有数のファンドマネージャーで、いまはベンチャーキャピタルをしている方と話していていろいろ刺激を受けた。 その中でも面白いと思ったのは、以下のこと。

  • 投資家向けの数多くの大企業、ベンチャー企業の経営者の話を聞いてきた。
  • ビジネスには成長、成熟、衰退があり、それは避けることはできない。
  • しかしそのビジネス・ライフサイクルの形は綺麗に左右対称(シンメトリー)であることを経験的に知った。
 ---これは非常に面白い発見だと思う。 

 通常企業はいくつかのビジネスを並列で走らせている。そしてそのビジネスの担当責任者は自分のビジネスがいま成長期か、成熟か、衰退かは実は分かっている。お家の事情で、衰退期になっているのに、「成長する」と言い張ることもあろうし、その逆もあろう。
 たとえば衰退期になっても、その先どうなるかが怖くて認めようとしないこともあるだろうし、組織防衛のためにやむを得ず衰退期になっていることを悟られないように行動する人もいるだろう。気持ちはよく分かる。 しかし、衰退から消滅にどれくらい時間がかかるをある程度事前に分かれば、その間に何をすべきか考えることで道は開けるともいえる。
 妙な例えだが豪華客船タイタニック号が氷山に衝突して沈没した事件でも、いつ沈むのかが分かっていればさまざまな対策が取れただろう。

 あるいは成長期が続いていて、段々とピークが見えつつあるときは、ビジネスの揺籃期からなぞってみて、いまのこのビジネスがどのくらいの期間続くのかが想定できる。 成長が続き、キャッシュフローが良くて資金余裕があるときには次の投資もやりやすい。 次の成長ビジネスを作るために、いまが絶好のチャンスかも知れない。

 いづれにしても経営戦略を考えるうえで大切なセオリーになるかもしれない。

被災地で・・


 2012年の2月、3月、12月にそれぞれ南三陸、陸前高田、南相馬にボランティアに行った。経験が無かった私にとって「ツアー」に参加するのは邪道なのではないかと思っていたが、実際には正解だった。個人がボランティアで作業をするのは余程の覚悟を持っていくか、専門技術を持ったプロでない限り却って迷惑になる。チャーターバスによる交通手段も確保できるという意味ではツアーがいい。JTBなどの大手が、大して商売にはならないだろうこれらツアーを企画しているのは良いことだ。
いくつか印象に残ったことと、学んだことを覚えに書いておく。
  • その現場をナマで見ること 
     現地を見ないと津波が来た高さ、被害の甚大さ、原発による放射能の恐ろしさ、住民の戻りたいが戻れないという葛藤がなかなか分からない。鉄筋だけになった防災センターの跡が、やけに高く感じる。あそこまで津波が来るものなのかと思うと足がすくむ。ほぼ全壊の病院の屋上に取り残された自動車と漁船・・。
  • まず自分を救うこと 
     地震、津波が起きて亡くなる方には、家族を心配して探しに行ったことが仇になることが多いそうである。その家族は実は避難して助かっているのに・・。
    「災害の時は、まず自分の身を守ってください。家族はきっと逃げているはずだ、そう自分に言い聞かせてください。」被災者のご婦人がそう語っていたのが記憶に残る。
  • 自然発生的な団体行動  ボランティアに参加する人は老若男女、あらゆる職業の人、学生らである。見るからに体つきのいい人、逆にお箸より重いものは持てそうにない人等々。
     センターで作業場所と作業内容が決まり、現場のリーダーが簡単な指示を与える。
     最初は不慣れな参加者が、だんだんと作業の方法を自分たちで考え始め、持ち場を見つけていく。リーダーが細かく一人一人に指示を出している訳ではない。それでも自分に合った仕事を探してもくもくと汗をかく。ガレキを運び出すときも、自然にバケツリレーの列ができる。一日の作業が終わるころには、お互いの名前も知らない参加者全員がある種の一体感を持っている。これには感動した。日本人には、いや人間にはこうやって一緒に仕事をする能力が自然に備わっているのだ。


 まだまだ現地は復興の手が足りていない。いくらやっても、なかなか先に進まない。あまりに被害が甚大だからである。あと何年かかるのか。