2010/04/24

「儲かるかどうかで決める」


 ある海外の大手企業の経営者に、経営判断するときの基準は何か聞いたところ、「儲かるかどうかで決める。」と答えた。 改めていま文字にすると何も面白くない、当たり前の回答に思える。 しかしそれを聞いたときはある意味新鮮であり、ある意味違和感を覚えた。 さらに続けられた言葉は、「我々は商人であって、SAMURAIではないですよ。」 ・・・そこに違いがあるのかと気付く。 自分は、儲けるというよりも、いい仕事をしたとか、人に喜ばれたという一種の美学に重きを置いているように思える。 これは日本人には多い傾向だろう。 この経営者の方も、決して銭亡者や短視眼ではなく、戦略的な投資を考えられる優れた人格者だ。 しかしビジネスをやっている以上は商人であって、カッコがいいという前に、しっかり商売として成立するところに重きをなす、と言う意味で割り切れている。 そうしないと、率いている社員や家族を路頭に迷わせることになる。 自分の美学のために人を危機に陥れていいのか、ということだろう。
 似た話を最近聞いたのが、囲碁の世界で最近日本人は全く勝てない。 韓国、そして最近は本家の中国が日本のタイトルを総なめにしていく。 ある韓国出身の棋士が曰く、韓国・中国の棋士はかなりアグレッシブに勝負に出てくるので日本人が勝つのは難しくなっている。 ただ日本人には勝ち負けよりも、どういう手を打ったかを重視する傾向があり、仮に勝てても、そういう手は打ちたくないという美学がある・・ように見えるらしい。 
 こういう話を聞くと、どちらがいい悪いというよりも、人生における価値観の違いに思える。 囲碁の話で少し嬉しいのは、若年・壮年の囲碁は日本人はなかなか勝てないが、シニアになると日本人の方が強いのだそうだ。 
 

2010/04/08

化学の勉強


 訳あって突然化学の本を読み始めている。 高校生あるいは、私のような「理系落第レベルの文系」向けの本で、折を見て、またそれぞれをまとめようと思う。 

 動機は別として化学を再勉強してみて本当に良かったと思う。 なぜ高校生のときには全く興味がわかなかったのだろう。 先生の教え方の問題だと片づけていたが、考えてみると皆同じ教材に同じ教師で、片や理工学に進む人、片や私のように先生の御情けで危うく留年を免れた人間もいるわけで、やはり自分の責任としか思えない。 
 まずは読んでいて関心したことをいくつか挙げておく。 この程度のことを何故関心するのかと言われそうだが、基本中の基本に真理があったりもする。

★化学は、物質とは何か、なぜその物質が存在するのかを探求する学問。
★原子の中には真ん中に陽子、中性子があって核を形作り、周りを電子が回っている。
★実は陽子や中性子もさらに細かい粒子で作られていて、ここは素粒子論の世界。 日本人がノーベル賞をとるのはこの分野で日本のお家芸。(しかし日本の高校では素粒子論のイロハすら教えていないので研究者は将来を心配している)
★原子がいくつか繋がって分子となり、これがいろいろな種類の物質の基本単位となる。 
★分子(その中の原子も)は実は常に猛烈なスピードで飛んでいる。 分子同士でぶつかり合っている。 物質はそういう常に振動している分子によって形作られている。
★火が燃えるのも、熱いお湯に手を突っ込んで熱く感じるのも、すべて分子同士のぶつかり合いから起こる化学反応だ。 
★分子というものはトンデモナク小さい。 ピンポン玉を手に取る。 このピンポン玉が、それを形作る分子の一つだと仮定すると、ピンポン玉そのものは地球の大きさに匹敵する。 そういう超ミクロの世界。
★2000年前のクレオパトラ。 彼女を構成していたH2Oや炭素、鉄などの物質は、土に、海に、空気にばらまかれ、2000年後の我々ひとりひとりの体内に広く行き渡っている計算になる。 つまり物質は分子単位で地球の中で循環している。
★分子、というより化学全体に共通するルールは、みな楽をしたがり安定を好むということ。 エネルギーが充満していると、なるべくそのエネルギーを使い切って安定しようとする。
★そのために電子をくれてやったり、貰ったりして、分子は楽をしたがる。 取引される電子が、すなわち電気となる。
★化学という学問は、未知の領域がまだまだ山ほどあり、人間の叡智をしても全容が分からないこれからの科学である。 学校で学ぶのは、探求をするために必要な道具の使い方だ。

 いまのところせいぜい分数程度の数学しかでてこない本なので読み続けられている。 まずはこの程度の理解はしておきたい。 お陰さまで、最近、身の回りにある物に対する見方が少しだけ、変わったような気がしている。

なぜミーティングが多いのか


 外資系の企業で長く役員を務められた方と、自分の会社ではミーティングが多いと言う話になったときに、スパッと一言で言い表された言葉。
 「ミーティングが多いのは、権限が与えられていないからだ。」

 ミッション設定、業務分掌など、仕事の責任を個人に負わせる仕組みは高度に発達してきている。 その一方で、権限をしっかり規定していることが少ない。 そうすると、責任を持たされた人は、後で文句を言われないように、ミーティングを招集し、みんなで決めて責任を分散しようとする方向に働く。 ところがせっかくみんなが集まっても、なかなか決められない。 なぜなら誰も権限を持っていないから。 だからまた会議が続き、会議をやるために確認事項と称して宿題がどんどん増えていく。

 反省を込めて言うと、責任分担を明確にすることに大変な労力を使っていたが、その責任と役割を遂行するための権限を規定することにはあまり時間を使ってこなかったと思う。 つまり権限をしっかり考えることで仕事が加速するということ。 問題の根本が分かれば解決のしようも出てくる。

2010/04/01

旬の決断 -斉藤茂太の随筆から


 「絶対に間違えたくない、失敗したくない」 そういう決断に際して、人はなかなか決めることができない。 あーでもない、こーでもない、と決断が延びる。 そのうちに胃が痛くなってきて、もうどうでもいいや、という気にすらなる。 

 なぜこうなるかというと、ここで決めてしまった後で、「もし失敗したらどうしよう」とか、「もしもっといい選択肢が後から出てきたら悔しい」、ということを考えてしまうから。 そんなときに、必要なのはいま一番いいのは何か、という基準で物事を決めていくこと。 その上で、その選択が一番いいのだと信じ込むことである。

 物事を決めるにはタイミングが必要だ。 だらだらと考え続けて機を逸することも多い。 決断も旬を尊ぶべきだろう。 確かに人間は神様ではないのでその先、想定外のことも起こるだろうし、結果として失敗することもあるだろう。 そんなときはどうするか。 またそのときの、旬なベストを選択することだ。 

 ・・・年齢が若いときには失敗してもリカバーする体力も気力もあるので、失敗を恐れない。 年齢を経ると失うことも多くなるので、リスクをとることにより大きな勇気が必要になる。 斉藤茂太のこのアドバイスは実は中高年に向けたメッセージだ。