2014/11/08

考えるということと論理的ということ



 いま野矢茂樹氏の論理トレーニングという本を読んでいる。
なかなか面白い。教養課程の大学生向けの本だそうだが、こういう授業をまじめに受けていると社会に出ても役立つだろう。
言葉というものは使い方によって恐ろしいほどのパワーを持つことがわかる。
その内容は別の機会に譲るとして、冒頭に氏が興味深いことを書いているので引用する。

 「思考は、けっきょくのところ最後はひらめき(飛躍)に行き着く。思考の本質は飛躍と自由にあり、そしてそれは論理の役目ではない。」

 「論理は、むしろひらめきによって得た結論を、まだその結論に達していない人々に向かって説明するための道具である。」


 またこうも続ける。
 「ここで重要なのは、その結論にたどり着いた実際の筋道ではない。」
「どういう前提から、どういう理由で、どのような結論が導けるのか。そしてそれ以外の結論はどうして導けそうにないのか。それらを論理的に再構築して説明する。」

 論理を少しずつ学びながらも、むしろ改めて認識するのは「飛躍」が大切ということだった。
左脳(閃き)と右脳(論理)をバランス良く動かしていかないと、「閃きを実現」していくことは難しいのだと。自分に置き換えると、もともとひらめき方だったのに、大きな会社に入社して、論理の重要さを叩き込まれ、ひらめきを押しつぶしていたように強く感じる。そうか、そういう事だったか。
遠回りしても、それに気づくのに遅すぎることはないと思いたい。

人事の役割は・・。


 或る外資系薬メーカー、大手エレクトロニクスメーカーの人事部門幹部を歴任した方の講演。聴衆はほとんど人事畑の人たち。
もともと面識があったとは言え、こういう改まった場で話を聞くのは初めてだったのだが、非常にInspireされた。

 人事のミッションとは、突き詰めると何か?
「人を育てる、才能を見出す」ことだという。

*人を育てて能力を上げてやる。
*その能力を生かせるようにしてやる。

 そのためには、単にデータだけを見ていてはいけない。 社員の成績をABCにランキングして、それだけでタレントを分類してはいけない。 教育とは、真ん中の人間をさらに上げることよりも、成績が上がらない人を教育することで、一気にAに持っていくことを狙わないといけない。飛躍する可能性があるのはCにいるから。何かをやってみて、失敗しているからCにいる。何もしないでBにいる人よりポテンシャルがあるかも知れない。

 昨今人事の人員構成は100:1が適当と言われている。誰が言い出したのか、それにどういう根拠があるのか、コメントする立場にはない。
 人事はさまざまな業務をこなさないといけない。しかし給料や源泉徴収計算は財務の仕事。健診は厚生部の仕事。つまりアウトソースできる。ただ、社員と話すことだけはできない。人事は社員と話をしてナンボである。そうなると一人当たり100名と話をしなければならない。酒を酌み交わさないといけない。それによって、さまざまな情報を人事は得られるし、そこからタレントを見出せる。
 いま人事部門は多くの苦労を抱えている。ただ、社員とのコミュニケーションだけは失ってはいけない。彼らの上司は与えられた仕事の枠で社員を評価することは出来きる。だが、常にニュートラルに、全方位で社員を評価できるのは人事だけだ。