2009/06/21

「日本のために何ができるんだ。」ゼミの教授の一言

 先日ゼミのOB会に顔を出したときに、聞いた話。 今年の総会の打ち合わせのために、事務局数名で退官して10年近い恩師の自宅に伺った。 80歳近くなられて、すでに好好爺の雰囲気を持っていたはずの先生が、どういう訳かこの日は頭が切れて眼光するどく、ギラギラした感じだった。 座敷で円になってお茶を飲んでいると、先生が「みんなそれぞれ近況報告しろ。」と声をかけた。 ひとりづつ「いまxx会社で、xxに取り組んでいます。」という話を始めると、「そんなちまちました話をしなくていい。 日本にとって何か役立つことをやっているのか!」とそれぞれに一喝したそうだ。 「いえいえ、私が取り組んでいるこのプロジェクトはコレコレ然然で、いい物なのだ・・。」と抵抗を試みる者もいたが、「値段いくらなんだ? どうせ馬鹿高いんだろう、誰も買えやしないもの作って何が人のためになる。」と見透かされてギャフンとなったそうである。

 われわれもすでに50歳である。 はやり言葉でアラフィー。 確かに20歳代の頃はまだ日本のためにと考えていたときもあるが、この年齢になると自分の将来も現実的に見通せる。 せいぜい家族のために働こうというのはむしろ優等生で、ましてはいまさら日本のためにとは考えない。 諦めている。 そこを突いた厳しい指摘である。 おそらくは先生自身の経験の中から、諦めるな、もっと視点を広げて見つめなおせというメッセージを伝えたかったのではないか。 そんなことを考えながらこの話を聞いた。