世界の言語のうち46の言語を紹介している。 ひとつの言語を3-4ページで紹介しているので簡潔で分かりやすい。 世界言語小辞典抜粋位のつもりで本棚に一冊置いておくといいような本だ。 海外旅行を計画するときに、行こうとしている国の言語の分類、歴史、周辺国の言語との関係を頭に入れておくのはいいことだが、そんなときの整理にも使える本である。 ここでこの本に書かれている46言語の抜粋を書き残すのは意味がないので、いくつか思い出深い言語についてメモする。
トルコ語。 仕事で東欧を担当していたときに、トルコ支社の人間がよくアゼルバイジャンと商売をしていた。 何となく使っている言葉がわかるというのだ。 この本でも、アゼルバイジャン、キルギス、ウズベクなど中央アジア一帯で話される言葉はチュルク諸語と呼ばれる同じ仲間であることが紹介されている。 いまトルコに住んでいる人たちは見た目から言うと、中央アジアというよりはイラン、アラブ、バルカンの人たちに近く思えるが、同じアジアの同胞である日本人への親近感は強かった。
中欧諸国のスラブ系言語。 同じく東欧担当をしていたときに、各国のお客さんを一か所に集めてミーティングしたことがあった。 クロアチア人、スロベニア人は全く問題なく話ができる。 この本にも書いてあったが、ほぼ同じ言語と言っていい。 彼らがチェコ人とも有る程度会話が成り立つことを発見して、自分達も驚いていた。 オーストリアとハンガリーに隔てられ、数百年間は直接の行き来がなかったはずである。 チェコとスロバキアも、これは方言で、全く問題なく会話ができる。 チェコとポーランドも、ある程度可能だそうだ。 ポーランド人に言わせるとチェコ語は、なんとなくふざけたような、軽い印象を受けるとのこと。 さらに言うと、ポーランドやロシア語は中央スラブの人々にはかなり堅苦しい印象になるそうである。 ところで、ここまで近い言語は方言と呼んだ方がいいのではないかとかねがね思っていたが、本書の中でも、「言語」の定義は実はかなり難しいそうだ。 政治的な意図で、自国語を他国言語の方言と認めない人も多いだろう。
そういえば中国は省ごとに方言がある。 発音の音階が違うだけでなく、単語自体が違うことは珍しくない。 お互いに通じないということからすると、方言ではなく言語と呼んで差し支えないと著者も言っている。
また東欧に戻る。 ルーマニアはローマ人の土地という意味だそうで、そうなるとイタリア語と通じるのではないかと思っていた。 たまたまイタリア人の部下を連れて出張する用事があったので、どんなものか調べてみたところ、イタリア人はルーマニア語は全く分からない、ルーマニア人はイタリア人の言葉を少し分かる、ということだった。 この本によれば、古いイタリア語(つまりラテン語)の要素をルーマニア語はかなり残しているとのことだった。 そう言えば、カナダのケベック州で使われるフランス語はある意味正統フランス語で、いまは使われない単語や言い回しが多いと書いてある。 ケベック州で作られたテレビドラマをフランスで放映するときは字幕が出ているそうである。
オランダ語が英語に良く似ていることにもビックリする。 本書ではオランダ語はドイツ語の方言の一つと書いてあった。 とすると英語はオランダ語の方言だろうか。 オランダのテレビにはろうあ者用に字幕が出ているが、それを読むと英語に非常に近いために私ですら何となく分かる。 アムステルダムに赴任していた仲間が、街で英語で話しかけられたと思ったら、それはオランダ語だったということがよくあったそうだ。 そうだろうなあ、と思う。
ということでオランダ人は皆英語が出来る。 日本でたばこ屋のおばさんが英語がペラペラだとかなりビックリするが、オランダでは本場のイギリス人なんぞより、たばこ屋のおばさんの方がよほど綺麗な英語を話す。 日本人は英語が世界で最も下手な民族だと思っているが、やはり日本語と英語の距離の問題が大きいだろう。 並列に比較されては酷というものだ。
では日本語には仲間はいないのか? 朝鮮語とは文法的に非常に似ている、というよりほぼ同じと言っていいそうである。 ところが単語などは殆ど一致することばがないそうで、言語学的にはどちらかがどちらかの親とか兄弟という関係ではないそうである。 言葉は何処から来て、どういう変化をして今日に至っているのか。 興味が尽きない。