2010/08/28

イエスのミステリー ―死海文書で謎を解く by バーバラ・スィーリング


 この本はすでに絶版になってしまっているようだが、1990年代の前半にはNHKなどでも取り上げられ一時話題になった。 オーストラリアの歴史学者が記した、近年発見された死海文書という古文書によってイエス・キリストの本当の姿を再現しようとした「学術論文」である。 キリスト教信者にとっては信じ難い、あるいは信じたくない衝撃的な内容になっている。 


 印象としてはキワモノ的なゴシップ本というより、古文書を丹念に辿ったうえで書かれた本で、裏を返すと私のように聖書もしっかり通して読んだこともなく、神学などは皆目判っていない人間の手には余るレベルなのだが、それでもあらすじをなぞるだけでも知的興奮を得られる。 数年前にDan Brawnというアメリカ作家の原作でダヴィンチ・コードという映画が話題になった。 この筋書きはこの本における研究成果をベースにしていると、私は睨んでいる。 
 
 一方、神学者や信者の方からの評判はすこぶる悪い。 ギリシャ語からの翻訳内容が間違っている、あるいは年代がバラバラという指摘もある。 この点は素人の私だと直接ギリシャ語原文をあたることもできず、こういう確かめようのない部分が、内容の難解さと相まって絶版になってしまった理由かもしれない。 キリスト教は、マリアの処女懐胎、イエスの十字架上での磔と復活が「奇跡」の中核であり、信仰の礎となっている。 日常生活からすると考え難い出来事なのだが、それが実際に起きたことこそキリスト教たる所以とされる。 一方でこの2000年間、それが事実かそうでないかで、多くの人の命が奪われるほどの争いが続いてきた。
聖書にはいくつかの福音書があり、内容も違うのだが、大まかな流れは次の通り。 



  1. イエスが処女マリアから生まれる。(処女懐胎)
  2. 成長し、啓示によって自分が神の子と気づき布教を開始する。
  3. 悔い改めることで神の道に導かれると唱え、さまざまな奇跡を起こした。 
  4. 旧勢力との確執から、罪を着せられ十字架で磔され葬られた。
  5. 洞窟に葬られたはずの遺体はなくなっており、その後弟子たちの前に姿をあらわし、天に昇っていった。(復活)


 この本で書かれる筋書きは大きく異なっている。 イエスはユダヤ教の一宗派の長の家系に生まれ、父ヨゼフと母マリアの間に生まれた。 ただし二人は宗教儀式的には正式な結婚をしていなかった。 これは当時の感覚としてはけしからぬことであった。 ゆえにマリアは正式な「結婚」をせずに、つまり処女のままで「身篭った」ことになったとしている。


 復活に関しての説明はこうである。 十字架で磔になるのは大変な苦しみを味わうのだが、ユダヤの地にはもともと痛みを抑えて仮死状態にする薬物がある。一方でその薬物を打ち消す薬も用いられ、いまで言う麻酔技術があった。 イエスは洞窟に葬られた際には仮死状態であったのは間違いないが、少なくとも死んではいなかった。 

 キリスト教を神聖化する奇跡のもっとも大きな処女懐胎と復活の解釈をこのように説明するのは、多くの信者にとっては自分たちの信じるところへの根本的な否定と捕らえられる。 筆者はこれだけではなく、イエスは子供も作り、長生きをし、最後はローマあたりでなくなったろうと推定している。



 ところで著者が何を根拠にこういう推論を出したかというと、死海文書である。 死海文書は1947年に死海の近くの洞窟の中から羊飼いの少年が偶然発見した数百にのぼるユダヤ教の古文書である。 紀元前100年頃に書かれたものが中心とされていて、キリスト教成立以前にいわゆる旧勢力の視点によって書かれている。 その中にはぺシェルという技法に書かれているところが多く、これは日本で言えば掛詞(かけことば)である。 突然だが歌人・柿本人麻呂は朝鮮渡来人で彼の和歌は日本語の意味とは別に朝鮮語による解釈が可能である、という説が出されていた。 同じことである。
 死海文書にはこのぺシェルの技法がふんだんに用いられており、その技法を駆使して聖書を解釈するとこうなる、というのが著者の主張だ。

 この本の主張が正しいか、間違っているか、判定をすることは自分には出来ない。 興味本位で信者に話すつもりもなく、特に外国で場所をわきまえずこういう話題を出すのは非常に失礼なことになりかねないし、下手をすると刃傷沙汰である。 とは言え、本に書かれている文字のみを盲目的に信じるよりは、自分の中で解釈して、その人なりの生き方に組み込んでいくのが、あるべき姿だろう。