2012/06/09

大トラブル時の最初にすべきことは・・



 ビジネスには想定外のトラブルが続出して当たり前だが、2011年の震災直後に経験したような大トラブルも何年に一度は起こる。さまざまな大きな判断をしないといけない。それも迅速に。

 ただし、判断しなければならないとプレッシャーに押されて拙速な判断をしてはいけない。判断をした、まだ考えてもみない次の問題が起こった。またあわてて判断して、余計悪い方向へ物事が進んでいくことは避けなければならない。

 間違った判断をするくらいなら、一歩踏みとどまって、その判断をした場合のプラス・マイナスをシミュレーションするべき。特に周りを巻き込んで、最悪の事態や解決方法のアイデアを出し尽くす。 その上で、いくつかのシナリオを準備してから、その後で判断するべき。 つまり、大事件が起こった後に最初にすべきことは何かのアクションの判断ではなく、シミュレーションをし尽くすこと。

「最悪の事態を想定し、その対処方法を複数用意し、その上で最初のアクションをとる。」

金融市場はコンピューターが動かしている?


 いまの金融市場はすでに人がディーリングすることは少なくなってきていてコンピューターが売り買いをしているそうである。 全体の約7割はコンピューターが過去のデータを元にどこでどのくらいを売るか、買うかを判断して一瞬の内に売買成立させているとのこと。

 ウォール街のある小規模ヘッジファンドでは朝出社してコンピューター画面を見る。昨夜から数十万ドル稼いでいるのをみて、「うん、今日は調子がいい。」と社員がほくそ笑む。これは想像ではなくて、実際の場面の一こま。
 2010年にこれらコンピューターが暴走して大きな株価変動が起きた。突然あるコンピューターがある会社の株に対して、とんでもなく安い「買い」を入れた。その瞬間、別なコンピューターが「売り」を入れた。それをきっかけに、あっという間に大量の売りと買いが入り、一気に株価が暴落した。直前の10分の1にまで下がったのである。その間、なんと僅か4秒である。

 実はそれ以降、コンピューターの暴走はあらゆる局面で起きている。株にしても、為替にしても、われわれの社会はすでに自分自身でコントロールできないものに身を預けている。以前ワンクリックで売買をする「株主」が本当にわれわれが働く会社の「所有者」と言えるのか疑問を呈した。いまはワンクリックどころではない。企業活動の資金調達は本当にいまのままの市場に頼っていいのだろうか。

財のなりたち・・・2

 猿にバナナを持たせる。もう一つ好物のリンゴを見せて、交換させようとしても、両方欲しがるそうである。物を「交換する」という概念は人間だけにしかないのだそうだ。
 人類の最初の「お金」は穀物、塩、家畜だった。それを交換して、豊かさが広がっていく。そこに現れたのが本物のお金、「コイン」だった。これは革命的な発明で、それ以前の物々交換との圧倒的な違いは「貯蓄できる」ことである。腐らない、だから貯めることができる。それによっていつでも使えるし、飢饉の際に備えることができる。
 最初のコインは紀元前600年にギリシャで生まれたそうである。何と口の中に入れて運んだそうな。 「お金」が流通する前の社会は共産的な社会だったはずだ。貯めるものがないから、一人だけが突出することがない。マンモスを捕獲して食べるにしても一人では食いきれない。みんなで分けるのが当たり前。つまりお金の出現が個人主義を育成し、それが競争を生んで今日の繁栄をもたらした。
 ところで紀元前100年のシーザーの時代のコインは銀で作られており、純度は98%だったそうである。それが紀元270年頃のコインの純度は2%に落ちているものの、それで買うことが出来たものはほぼ同じだったという研究成果があるそうだ。コイン自体の価値に頼って交換が行われていた時代から、国がその価値を保証する時代に移っていった。

「財」の成り立ち・・1

 所有の概念というのは、農耕の開始と同時期だそうである。
狩猟民の場合は「共産」であり、誰かが獲物を取り、それをみんなで分ける。もらった肉を分けてもらって当たり前、そこに感謝の言葉をかける必要はない。お互い様だから。パプアニューギニアなど原始的な生活をいまでも続けている住民の慣習としてまだ残っている。
 農耕が開始されると大切になるのが植物が育つ土地である。そこから食料が生まれ、「所有」の概念が出来てくる。これは財産として認識されて、村同士、個人同士の戦いが生まれてくる。古代遺跡の発掘をするなかで、戦いが大規模化する時期と、農耕が開始された時期ははっきりと一致するそうである。
 同時に戦いが多くなると、リスクが増える。そのリスクマネジメントとして中和が必要になってくる。これが村同士、あるいは村の中でのご馳走を振舞うイベント、つまり親睦を図る必要性が生まれてくる。これが祭りとなり、儀式や宗教につながっていくのだ。

2012/06/02

イノベーションのジレンマ クレイトン・クリステンセン著

10年以上前の発行なのだが最近読んで面白かったので記録しておく。
私の解釈と思いいれも入っているので、この理論を正確には反映していないかも知れないが。イノベーションのジレンマという言葉はビジネスのキーワードとも言える、それがこの本から来ていることは意外にしられていない。


  1. 優良企業、大企業は顧客のニーズに応えるべく製品の性能を上げていく。これを持続的イノベーションと呼ぶ。
  2. 持続的イノベーションはある一定の期間で顧客のニーズを超えてしまう。それでも優良企業はさらなる改善を推し進め、性能を上げていく。 ニーズと、製品の性能の差は付加価値を生まず、コストとして認識されていく。
  3. 一方で従来の製品の延長上にはない、潜在的なニーズに着目して全く新しい価値を生み出すのが破壊的イノベーション。
  4. 優良企業、大企業は 破壊的イノベーション のニーズが当初非常に小さいため、自らが求める収益上の魅力を見出すことはなく、無視する
  5. 破壊的イノベーションの性能が進み、新たなニーズが市場で広く認められた結果、優良企業の提供してきた従来型の製品価値は一気になくなってしまう。

 ポイントは、破壊的なイノベーションの傾向として、既存の製品よりも性能が劣る、当初のニーズが少ない、でも価格が安い、などの傾向がある。 例えばオーディオステレオ全盛の頃に出てきたソニーのウォークマン。さらにはCD/MD携帯ステレオ全盛の時代に出てきたMP3プレーヤー。 いずれも音質的には大きく劣るにもかかわらず、新たなライフスタイルとして認識されるとともに、価格の安さから若者層に浸透して新たなマーケットを創出した。

 ところで、この本の帯に当時ソニー会長兼CEO 出井伸之氏が推薦の言葉を載せている。 2011年度に数千億円の赤字を出していまや株価1000円を切ろうという企業の元最高責任者が推薦することに時代の皮肉を感じざるを得なかった。
(2012年6月時点)