2009/01/20

21世紀の国富論 (原丈二著)



★テーマ
会計上の数値によるROE崇拝経営ではなく、中長期的な展望で活動し、しっかりとした実業が評価されるようにすることで、新たな技術やサービスを育てていける。 その環境を政治的にも、財政的にも整えることで、日本を世界に貢献できる国にする。

★要旨
日本の将来を考えたときに技術立国、ものづくり立国であるべきだ。
その際に、従来の英米式経営方針や会計思想に縛られている企業、特に大企業にはあまり期待できない。 なぜならば英米式の単年度会計方式が行き過ぎると、その年さえ良くなればいい、不確定な来年以降に投資するなどというのは博打と同じだという考えにしばられ、数年単位でしっかり育てていこうという考え方が成り立たなくなっている。 
MBA出身のCEOゴロ(筆者の表現。強烈だがスッキリと判り易い)の行動パターンを例にとって解説すると、新任のCEOはまず年度中にその会社の膿を全部出す。売上の見込みを消極的に変更し、仮想在庫を作り上げて評価損を出す、人も切ってリストラ費を計上する、中古の機械も使えないとして除却損をだして売り払う。 
それによってまず大赤字にする。 翌年以降は長期の投資は一切ストップ。 その年に回収できる投資と活動に限定する。 そうすると翌年は見かけ上の利益は大きく上がる。 そのCEOは僅か一年でV字回復させた凄腕ということになり、ボーナスも大きくもらい、次なる高給を用意した企業に引き抜かれていく。
企業は株主のものではない。 そこで働く従業員、顧客、納入業者、販売業者、地域住民、それらおおくのステークホルダーのものである。 であれば、その一年での見かけの利益云々ではなく、まず企業の継続性であり、将来の糧となるための技術開発を中心とした長期的投資が重要。 
では長期的にはどういう方向で技術開発すべきか。 原氏はスタンフォード出身者として数多くのIT企業を立ち上げた経験から、ITにおいてはPUC(ペイパーシブ・ユビキタス)がキーであると説いている。 その為には現在のパソコンで主流のリレーショナルデータベースではなく、ファブリック・インデックスという新しい思想によるデータベースなどいくつかのコア技術を紹介している。
また日本にどう海外の頭脳や技術を移植するか、またどう海外の発展途上国を援助していくか、その手法を企業家らしく成功事例を作り、それを紹介し、その成功事例を促進させるためのやり方を企業家らしく、柔軟な発想で提案している。

★読後感
実は原氏の名前を最初に知ったのはWEDGEという雑誌の特集によるものだった。 2008年の夏の特集で、CO2排出権をあらたなバブルの対象にさせるな!というような主旨の題だったと思う。 WEDGEは良く私の勤務先やらを特集して、正論を展開している雑誌で、良く手に取っていた。 後で知った事だが、JR東海が発刊に関係しているようで、新幹線のグリーン車には無料で置いてあるらしい。 私はグリーン車なんぞついぞ乗ったことがないのだが、勤務先のH役員は小田原から新幹線通勤していて、何かの時にWEDGEの名前を出すと、「ああ、あの新幹線の雑誌か。」と応えて私を混乱させた。
それはともかく、原氏の文章を読んでみると頭をガツンと叩かれるようなことばかりが書かれていた。

例をいくつか挙げると;

■会社をROEで評価するのは間違い : 
まったくその通り。 ところが私はもとより会社や世の中は、株価総額、つまりROEを根本価値とする考え方にいつの間にか染まっている。 特に時価会計制度による欠陥は、本当のビジネスが数年単位で成長するものなのに、それを一年で評価しようとするもので、使い方によって大きな悪弊があるのだが、それを知りつつ、いつの間にか忘れ去ろうとしていたことに気付かされた。 むしろ新入社員のときのほうがそれを肌で知っていたように思う。 お客さんに気に入られ、試しに商売を貰い、少しずつ大きな仕事を任される。 丁稚奉公に入って段々仕事を覚えていくのと同じ。 ビジネスは人が動かす以上、こういう長いタイムフレームが普通であるにも係わらず、いつの間にか今月の売上、今年の売上に追いかけられる毎日でそれを忘れてしまっている。
一方株式会社である以上、株価に影響されざるを得ない。 資金繰りに直結するからだ。 かつROEや投資家の意向に沿わざるを得ない。 ここが変わらない以上、経営を根本的に見直すことは難しい。 現に勤務先の経営に係わる人幾名かに聞いてみると、一様に中長期視点が大事と理解しつつも、短期的な株価を意識せざるを得ない。 市場という大きな力によって操られていると感じつつ、必要悪としてそれを受け入れていることにも問題がある。 どうすればいいのか。 原氏は別な席で、株式公開そのものの弊害を語っている。 資金調達には別な方法もあるのではないか、ということだろう。 この点は別な機会に譲るが、この本の中では東京株式市場の中に、長期投資専門の別市場を設けてはどうか、また短期的に社内留保を吐き出させて一気に利益を上げるヘッジファンドの規制方法についても触れている。

■日本人は見えるものしか評価しない :
前から言われていることだが、日本人は名の知れた企業の技術だと評価するが、全く同じ技術を誰もしらない企業が開発しても投資しようということにはなりにくいそうである。 自身がベンチャーをいくつも経営し、その間にその技術を売るとか提携などの機会も多かったであろうから、体験に基づく実感であろう。 
よく日本の銀行は不動産を担保にしか金を貸さないと言われ非難の対象となるが、私の反省も込めて言うと責任を取りたくない文化なのだと思う。 その技術、その企業がイケルかどうか、残念ながらそれを保証してくれる紙はなく、それを見抜く経験とセンスだろう。 また10が10成功するはずはなく、失敗は多いはずである。 ということは10のうち2とか3とかを成功できるようなポートフォリオ・バランスと、成功率が低くても成功したときの利益はドカンと大きい、というようなビジネスの仕掛け作りが重要なのだ。 ここが難しい。 力の発揮しどころでもあるが、少なくとも自分自身が手を汚さずに楽して出来るものではない。 
話が逸れたが、日本でベンチャーがなかなか育たないというのは、こういう保守的な土壌にも理由がある。 銀行の貸付マネージャーを始めとして(自戒も含めてだが)、自分自身は汗をかきたくない人達が判断をする立場になると、それは大手企業に融通する方が楽に決まっているのだ。 ではどうしようということになる。 本書にはその処方箋がまだ少ないが、我々自身が真剣に考えるべきだろう。
ちなみに、私も社内では一種のベンチャーであり、同じ社内のベンチャーとの協業と同時に主力銀行(上司)にもベンチャー(この事業)が如何に重要で、じっくり時間を与えることが重要だと主張しているのだが、本書に勇気付けられた面は大きい。

■本当は考古学をやりたい :

原氏はマヤのピラミッドを発掘したくて、それでスタンフォードに入りなおし、発掘の金を作るためにベンチャーを立ち上げ、成功させた。 私もとうに忘れていたが、もともと滅びの文化ということで中南米の歴史に興味を持っていて、大学時代には関連図書を良く読んだ。 前職の商社時代、ヒューストンに長期出張している合間を縫って、週末にメキシコ・ユカタン半島のチチェン・イッツァーや、メキシコシティーのティオティワカンを見に行ったのを思い出す。 興味の方向が一緒でも、継続する意思と才能の差で、片やシュリーマンのように企業家として成功するとともに、世界の方向性を正すべく啓蒙活動を続け、片や若い頃の夢などどこへやらで上から降ってくる日々の仕事に追われる一介のサラリーマンと、こうも違うものなのである。 しかし、原氏の夢、やってこられた事、いまの活動は見ていてすがすがしい、と言うか、頑張って欲しいと願ってしまう。 イチローや松井のようにヒーローを見るような気持ちになるのが嬉しい。



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◎総評 :
ビジネスマンも、これから社会に出る人も、必読の一冊だろう。 もっと早くこの本に出会っていればというのが感想。