2019/08/17

しらずしらず[原題Subliminal] レナード・ムロディナウ著 〜下〜

この稿の上では人間の行動は脳の無意識の働きによって大きく制御されており、本人もそれを理解していないことを述べてきた。これは大きな能力といえる。
さらに、具体的に無意識に与えられた人間の能力についていくつかの実例を見ていく。
それと共に、無意識の働きは社会生活を営む上で知らず知らずにマイナス要因として働いてしまうことがあるがこれもあわせて見て行き、まとめてみる。

人間の表情や感情を無意識に読み取る
作り笑いを人間は見分ける能力を備えている。何故、それがお愛想笑いだと判るのだろうか。本当に笑ってくれていると我々は判るのだろうか。ここにも無意識の脳が働いている。
             

この二つの女優さんの表情を見て、どちらが感情を抑えきれず笑っているか、どちらがビジネス笑いをしているか、おそらく殆どの人は一目瞭然だろう。左は日本アカデミー主演賞の受賞スピーチのとき、右はその後の撮影会。口の部分を隠して目だけで比較してもそれがわかる。笑顔をつくる筋肉を動かす神経経路は二系統ある。大頬骨筋は随意的、眼輪筋は非随意的に動く。これも意識的にしているのではなく、心の有り様が表情に出るものと考えられる。ちなみにこの女優さんは撮影会の際も幸福で一杯だったろうから露骨な作り笑いではない、ということも見て取れるだろう。

別な例だと、目をあわす時間の差が報告されている。視覚的優越性比率というもので、人間(知能の高い動物)はそこにいるグループの中での序列付けを無意識に行っている。相手に比べて社会的優越性が高い人は目を合わせる時間が相対的に長く、比率で測定すると1.0かそれ以上であるのに対し、例えば軍隊の上官に対する訓練生は0.61。高校生が、これから入学したい優秀な大学の優秀と思われる学生と話す際は0.59、逆に大学生から高校生と話すときは0.92。このデータはアメリカ人を対象としているが、日本人の場合だと目を見詰め合って話すことは相対的に低いとは言え、傾向そのものは同じ結果がでるだろう。

実は表情だけでなく、話し方、声の高さ、スピードなど、聴覚に訴える情報も無意識の判断に大きな影響を与える。声の高さをふつうから下げると、聞き手はその人は悲しんでいると感じ取り、声の高さを上げると、怒っているか怖がっているかと感じる、という研究がある。
1959年にイギリスの下院議員に選出されたマーガレット・ヒルダ・ロバーツは、女教師のようで、横柄で威張ったような声だったと所属する保守党員から酷評されていた。政治信条は曲げないが声は融通が聞くのでアドバイスを受け入れて声の高さを下げ社会的な優位性を高めた。彼女は後に結婚してマーガレット・サッチャーとなり、1974年から保守党党首となりその後30年近くに亘るイギリスの繁栄に貢献した。

見た目や印象で人の評価が変わる
上記の笑顔、声などもそうだが、スキンシップも影響を与える。いくつかの実験がある。パリジャンが通りかかる若い女性をお茶に誘う際に、軽く女性の腕をタッチする場合と、タッチしない場合で、タッチすると20%の成功率、タッチしないと10%の成功率だった。倍である。普通、初対面の人の腕にタッチしたら不安がられるだろうと思うが、この実験が面白いのは、タッチされてパリジャンの誘いに乗った20%の女性らは、そもそもタッチされたことに気づいていなかった。
選挙ポスターで特段印象の強くない普通の顔立ちの女性をメイクアップし、優秀で意志の強そうなメークの写真を一枚、無能でだらしなく見える写真を一枚撮影した。被験者を集め投票させたところ、予想通り優秀そうに見える写真の得票率が圧倒的に高くなった。
それはそうだろう、みなそう考えると思う。では何故、そう考えるのか。同じ人間なのに。論理的に優秀で意志の強そうにメークした人に投票すると国が良くなるのだと説明することは可能だろうか。同じ人間を二種類のイメージにメークしただけで、何の違いもないはずなのである。

分類という奇跡の能力と欠陥
~上~で行った実験のように、人間には数多くのものをパターン化して認識し、記憶するということができる。つまり分類をすることができる。研究によると前頭前野皮質には分類に反応するニューロンがあるらしく、その分類をすることで、脳が効率的に情報を処理しやすくしていると考えられる。マイクロソフトなどが紹介している脳科学者の報告では人は毎秒1,100万件の情報を視覚、聴覚、などさまざまなセンサーを駆使して受け取っているが、そのうち40件しか意識して自覚できていないとしている。
例えば森の中をハイキングしているときに、目の前に突然巨大なヒグマが現れ、さてこの生き物は何だろうと分析し始めてしまうと直後に大変不幸なことになるだろう。脳の無意識下のデータベースの中から瞬時に危険な動物だと認識し、すぐに行動すべきだと全身に指示を与えるはずである。(もっとも次の行動をどうすればよいかがインプットされていないと、必ずしもその場をやり過ごすことはできないかも知れないが)

同じように分類という機能は、グループの認識にも繋がる。同じ大学出身、同じ地方出身、同じ親友がいる、同じチームで仕事をしている、同じ野球チームを応援している場合、自分達が似ていると分類してしまう。さらに、違うグループは自分の所属するグループよりも大きく違うと認識してしまう。つまり身びいきになってしまう。
この現象はさまざまな実験で裏付けられており、人間は分類を行うと偏重した考えを持つようになることが判っている。そして、困ったことにその偏重を自分の「意識」は認識できないのだ。

意識的な努力により無意識の力を正しく生かす
このような偏重した考え方、つまり無意識の偏見が自分にどのくらいあるのか。
IATという無料の公開テストがある。ネットで検索するとすぐに出てきて、しかも日本語で選択できる。一般的な人種、性別、国籍等々に対する偏見レベルが測定できる。
また偏見は意識的な目的を持つことで、他人を分類しがちな傾向を抑えられることが証明されている。
例えば、アメリカの例だが、被告人が外見によって陪審員によって有罪無罪、量刑の判断に影響が与えているという結果が出ている。おそらく日本でも同じようなことが起きているだろう。
例えば右の人物(一部に有名な方なのでもう判ってしまうかも知れない)が、コンビニでクレームをつけて商品を料金を払わず持って帰った罪で被告人席に座り、求刑は禁固1ヶ月、執行猶予1年とされていたら、陪審員のあなたはどう判断するだろう。やってそうだと思う人もいるだろうし、いやこの人はそんな小さい犯罪ではなくてもっと大きな悪いことをしていそうだと思うかもしれない。
実際に、そういう印象を持ってしまい量刑に影響を与えることは多いのである。
しかし、もし罪名が殺人で検察の求刑が死刑であったとしたら、自分の判断は人の命を左右するので、より慎重に事件の経緯や、この人物の過去、や前科、あらゆることを吟味するはずだ。つまり無意識の偏見から、意識の力を使って事実を見極め、合理的な判断をくだそうとするはずである。
ちなみにこの人物は、藤原善明という方で、プロレスラー出身、現在は日本医科学総合学院理事長、俳優、イラストレーター、陶芸家、エッセイストとして活躍されている方である。もしこの経歴を先に知っていたとしたら、あなたはこの方を良い人だと無意識に分類し、やはり量刑判断に大きな影響を与えていたかもしれない。

無意識のありがたさと怖さ~まとめとして
いままで書いてきたように無意識の力は、生物として生き残るための能力であり、高等生物であるヒトであれば、あふれかえる情報を上手く分類して処理していく効率の武器である。
一方で無意識の力は思い込みを作り上げ、場合によって有りもしないことを有ったと信じ込んでしまったり、相手やチームとの関係を自ら悪くしてしまう可能性を常にはらんでいる。
プラスの部分が非常に多い「無意識」の中の、マイナス面を補い、修正するのは「意識」の力である。いま自分が判断したことは、もしかしたら間違っているかもしれない、別な角度から考えてみる、事実を事実と思い込まず、それが本当に事実なのか確認するという姿勢と心構え。
それがもっとも大切なことであろう。