2019/08/13

しらずしらず[原題Subliminal] レナード・ムロディナウ著 〜上〜

脳の9割が無意識に使われており、人間の判断や行動に大きな影響を与えていることをさまざまな実験結果、研究レポートを元に易しく説明している。著者のムロディナウ氏はポーランド系アメリカ人で、著名なホーキング博士と共著を出したりする物理学を専攻した文筆家。意識とは何か、無意識とは何か、人は脳の機能によってどういう恩恵を受けて、どう働くのか理解し、うまく向き合うことができるかを考えるための良書。

サブリミナル(Subliminal)はサブリミナル効果などと言い、聴いたことのある人は多いと思われる。私の場合は古い話だが米TVドラマで1970年代に流行った刑事コロンボを思い出す。映写会の前に好物のキャビアをたっぷりと食べさせ、映画の中にコカコーラのような飲料のコマを入れておく(いまと違ってフィルム映画)と、その哀れな被害者は無意識に、かつ自分の意思と信じて喉が渇き、映写会の中休みに水を飲みに映写室を出てきて、そこを狙って犯人が殺すという物語。ほー、そういうことが出来るのかと当時世の中を騒がせたと思う。それからかなりしばらくしてから、テレビのコマーシャルやドラマの中にひっそりとスポンサーの望む行動を誘発させるような映像が一瞬仕込まれているのではないかと話題・問題になった。いま日本においては放送業界の自主規制もあって禁止されている。もっともその効果については、仕込んだ映像を以ってどういう行動を起こさせるかの相関関係がハッキリしないこともあり、疑問視されている。


いづれにしても、サブリミナルという言葉は「潜在意識下に働きかける」ことをさす。
潜在意識とは、学術的な誤解を受けることは承知で簡単に言い換えると、「無意識」ということである。では意識と無意識は何が違うのだろうか。「意識」という言葉には二種類の意味がある。ひとつは「気を失っていて意識を取り戻した」というような覚醒している、ということ。
もうひとつは「自分の周辺の状況を認識している状態」である。
音楽を聴いている、本を読み始める、本の内容に引かれて集中している、ふと気づくと音楽が終わって何も聞こえていない。このとき読書しているときは意識が働いている、しかし聴覚については無意識下にあったと思われる。つまり意識というものは視覚、聴覚、味覚などの感覚、さらには思考・気分に関して自覚がある状態で、無意識はその反対と考えられる。自覚が、ある、ない、は主観的なもので、難しいのはこれを客観的・科学的に測定する方法がいまの技術を使っても明確に線が引けないということである。
いま私がここに文章を書いている途中においても、無意識のうちに指がキーボードを叩いているし、頭の中で文章を組み立てているときは意識的であろうが、それを完了させて文字化しているときは無意識にしている可能性が高い。前置きが長くなった。こんなに長い前置きを書くのは初めてだが、それだけこの本の中身も興味深いということでもある。

無意識の力が日常を支配する;

人は自分の知覚・経験したことを記憶し、判断し、行動するが、実際にはこれらの営みすべてにおいて無意識の脳が影響している。それを本人は認識しておらず、論理的・合理的な決断を下していると思い込んでいるが実際には違う。例えば天気の悪い日よりも良い日のほうが株取引は活発になる。発音のしやすい名前の企業は株価が高くなる傾向がある。ペプシチャレンジというテレビ広告が昔あった。ブランドを隠してコカコーラとペプシを飲み比べると、味でペプシを選ぶ人が多い。では日本におけるシェアはどうかというとコカコーラがその爽やかな広告戦略でイメージが良いので、圧倒している。高級ワイン売り場でドイツ音楽がBGMで流れているとドイツワインが売れ、BGMがフランス音楽になるとフランスワインが売れ始める。ところがそれを購入した人にヒアリングするとBGMは気づかなかったと答える人が圧倒的だった。アメリカ南東部の三つの州で統計を取ったところ、アメリカで最も多い苗字のスミス、ジョンソン、ウィリアムス、ジョーンズ、ブラウンは、それぞれ同じ苗字の人と結婚している組み合わせが多いことがわかった。注目すべきはブラウンという苗字はスミスの半分しかないのに、スミスよりもブラウン姓と結婚する数値が倍だったことである。


日常世界をモデル化する脳;
こういうテストがある。下記の単語を30秒間掛けて覚えてみる。集中して覚えてみよう。
キャンディー、すっぱい、砂糖、苦い、美味しい、味、歯、良い、ハチミツ、ソーダ、チョコレート、心、ケーキ、食べる、パイ、ミルクセーキ、しょっぱい、アイス、唇

著者によると、何年にもわたりこの実験をしたが結果はほぼ同じだったそうである。
ちなみに私の家内は猛烈に記憶力がよく、それでよくやり込められる。ただ同時に、自分の記憶に自信を持っているため、思い込みも激しいので事実と違うことを後で言うことも多い(本人は認めないが)。で、家内の場合は著者の期待に反して違う結果が出てしまった。
さて上記の青色で記した言葉を手で隠してから、下記の3つの言葉を、眺めて欲しい。3つともあるかも知れないし、3つとも無かったかもしれない。
  • ポイント
  • 甘い
大部分の人は「ポイント」はリストになかったと自信を持って答える。「味」はあったと多くが答える。そして大多数の人は「甘い」がリストにあったと言い張るようである。
これは記憶力をつけるコツとしてよく言われることだが、人間の意識としてディテールを機械的に覚えるのはあまり得意としないが、関連性を設けて、要点、共通点を記憶し、勝つ論理矛盾しないように記憶されることを示している。
伝言ゲームをやっても同じような結果を出し、楽しめることからも想起できよう。小話を伝言ゲームで伝えていくと、それなりの要素が付け加えられ、解釈しなおされて、奇妙な物語を平易で親しみやすい物語に変えてしまう。(その逆もたびたび起こりはするが)
もっと極端な例としては、目の前の人が二人の間に割って入る看板運びのお陰で入れ替わっていても気づかないとか、アナウンスの録音の中である単語を意図して消し、そこに電車の通る音を入れて聞かせると、消したはずの単語をはっきり聞いたと言い張る人が数多く出てくる。
記憶は作為的に植えつけることも出来る。被験者にディズニーシーについての昔の広告を何度か読ませておき、同時に子供のときの写真を入手し、CGで加工して説明を求めると、まだその頃には出来ていなかったはずのディズニーシーに両親と行っていかに楽しかったかを語るケースが15-50%の確率で出てくる。

このように、意識的に収集した情報といえども、パターン化され、論理的に矛盾がないように整理されて記憶の奥に無意識に蓄えられる。これは良いことなのか、悪いことなのか。良いとすれば日常的に途方もない情報を人は受けておりそれをすべて記憶するほど無駄な脳の容量を使わずに済むことであり、一方で悪いとすれば記憶は都合よく書き換えられていることが殆どであり、覚えていることが証拠とはいえないということであろう。
それも含めて我々は自分の意識・無意識の脳の働き方の性質を知っていおくことが、脳を上手く使うために重要だということである。~下へ~