2019/05/08

間違いだらけのコンプライアンス経営 蒲俊郎著

コンプライアンスの本は山ほど出ていて、それぞれに良書がある。
弁護士である蒲氏が著されたこの「間違いだらけのコンプライアンス経営」は、我が意を得たりの表現がいくつもあるので書いておく。なお、自分の考えも含めて書くので、蒲氏の文章と違う部分があることに留意のこと。

コンプライアンスを、イコール法律遵守と誤解している人が多い。大企業経営者であっても、その例に漏れない。またコンプライアンスが重要だと本気で思っている経営者もまだ少数である。何故か。コンプライアンスでは儲からない、そう考える人が多いことと、法律的な文章が苦手であくびがでそうな人が多いのだろう。

私の概念では、というより京セラ創業者の稲盛和夫氏の表現だが、「人間として善と思う事を行い、人間として善としないことは行うべきでない。」に集約される。
数学の集合を使って説明すると、人間として善なり、という大きな集合体の中に法律という小さな集合体がある。だから法律的に問題ないから良いのだ、という判断は間違っていると言って差し支えない。

文中にジョンソンアンドジョンソンの新氏の話が引用されているが、同氏が本社のCEOと最初に合った時に経営者として重要なことは何か聞いたところ、CEOのジェームズ・パーク氏はこう答えたという。
「平均以上の知性と、極めて高い倫理観」
成績が良いよりも、高度な倫理性を持っていなければ経営はできない、という事である。
何故そう思うのか、私の解釈は、会社の存続においてもっとも大切なものだから、である。つまり、人に後ろ指をさされない、まっとうな会社であり続けることは、会社の永続性に極めて高い相関性がある、ということだと考える。

私が以前勤務していたドイツの化学・医薬メーカーには6つのビジョンがあり、それを社員が共有することこそに、一緒に働く意味があるとしていた。その一つにIntegrityがあった。このIntegrityは、蒲氏によると欧米では大きな潮流になっているそうである。
これは誠実、高潔、真摯などを表す言葉であるが、つまり紳士たれということで、上記の倫理性、あるいは稲盛氏の人間として善たれ、につながる。

もう一つの視点として蒲氏が挙げて興味を持つのが古くから近江商人に伝わる「三方良し」の考え方である。「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の三つが備わり、良い商売が長く続けられるという心得だそうである。WIN-WINだけでなく、WIN-WIN-WINである。

この件で思い出すのが、以前勤務していたある大手メーカーの海外支店で、若手のアドミニストレーターが昼食時にネットでポルノっぽい画像を見ていたのだが、その付近の座席の女性が非常に不快な思いをし、上司に告げて戒告を受けた件である。それ以前でもe-learning等で何度も教育を受けてきたが、例えばセクハラ、パワハラは、加害者側にそのつもりが無くても、被害者側がそれを不快と思えば成立する。
ここまで極端に分かり易い例えでなくとも、茶髪の営業社員だとどうだろうか。美意識の観点で本人は良かれと思っている、会社としても髪の色まではルールに規定していない。問題はステークホルダーはどう考えるかである。客は、社員は、どう思うのか。

世の中には新しい技術やメディアが登場して、昨今はバイトテロと呼ばれるような、大手レストランチェーンのバイトが厨房で肉を床にべたりと擦って調理をする。それをそのまま客に出すなどの例があった。これをYoutubeに上げる神経がすでに私には理解不能なのだが。
もちろんこれは法的に規制はできる可能性がある。ただし、客がお腹を壊して、その肉についたばい菌との因果関係を証明する必要がある。勿論コンプライアンスルールにはそんなことまで想定して「やってはいけない」と書かれていることはまずない。ではどうするのか。

Youtubeに上げて、世間に対してレストランチェーンのブランド価値を下げた、というのがコンプライアンス上の指摘としてできるだろう。ただ、それ以前に「人間として善なのか」、あるいは蒲氏が例とする「三方よし」の精神なのか、を考えれば良い悪いは明らかである。

二つ、最後に付け加える。
蒲氏は、「魚は頭から腐る」という表現を引用している。経営者の倫理観が最も重要だという事である。大きな会社になればなるほど、問題は現場で起きる、上層部に報告されたときはかなり時間がたっており、いまさら問題になるからとして隠蔽する、それが外部告発されて社会的な問題に発展するのが典型的なパターンである。
経営者は、不断の努力により倫理観を会社全体に沁みとおらせると共に、何か起きた場合にそれを適切に、公明正大に処理する勇気をもっている必要がある。
もう一つは、内部通報制度の適正化である。一応内部通報者の利益を守る法律ができているが、実際のところはあまり成果を上げていない。やはり社内で白眼視され、会社に居づらくなるのである。米国などでは内部通報者には奨励金が出されるなどの例が出てきており、いろいろな方法が今後も出てくると思うが、繰り返しになるが基本的には経営者が先頭に立ってコンプライアンスの重要性を企業文化にしていき、少しでも早く間違っているものが正せるようにすることが肝であろう。

蛇足かも知れぬが、社員、同僚を人として常に尊敬して接しているかどうかが大切である。
相手のことを思いやりながらであれば、少し強い指導であっても、伝わる。
何故ならば人間というのは凄いもので、相手の0.1ミリにも満たない表情の変化から、嘘をついているのか、自分を思って言ってくれているのかをかなりの確度で読み取れるものである。パワハラなのか、熱血指導なのか、グレーな部分はどうしても残っていくが、最後は人間として善と信じ、人を人として尊敬する行動がとれているかどうか、それを常に自分に問いかけないといけないのである。

2019/05/06

白熱教室の対話術 堀公俊著

堀先生は、私が日本最大手の家電メーカーに勤務していたときに、 ファシリテーション研修を受けた講師として長く存じ上げていた。先生はカメラメーカーM社の経営戦略のスタッフでいらして、私が勤務していた電機メーカーが同社からある事業を譲渡してもらったときに直接関与されていたようである。
以前、私のブログでも取り上げさせてもらったファシリテーション、あるいはワークショップなど、さまざまな技法について深い知識と実践的な経験をお持ちである。そこで学んだことを実践でも使わせていただき、いまの自分のキャリアに生かしてこれた。
そして、つい先日、当社にお招きして二回に亘って、社員向けにファシリテーション・トレーニングを行っていただいた。

前置きが長くなったが、今回取り上げる本「白熱教室の対話術」は既に絶版になっているそうなのだが、A社のサイトでみると在庫一冊になっていたのでゲットした。
マイケル・サンダルの名前、あるいは白熱教室(これはNHKがつけた造語だろう)については記憶されている方が多いと思う。

  • 生き残るために瀕死の少年を殺して食べることは許されるのか?
  • イチローやビルゲイツの年収は高すぎるか?
など、身近であり、その場に居合わせることがイメージしやすく、かつ大きなジレンマを抱えた課題を聴講者に投げかけます。それに皆が共鳴するように、自分ならどうすべきかを考え始め、議論をし、部分的にマイケル・サンダルがまとめながら、講義を進めていきく。
私はこの番組が好きで何度か見ていたのだが、この講義の進め方にファシリテーション手法を感じることが多々あった。そこで先日堀先生に「あれはファシリテーションではないですか?」と聞いてみるとまさにその通りで、実際に堀先生自身があの講義を解説した本を書いたと言われるので手に取ったのがこの本である。

私事ながら、早稲田大学ビジネススクールに呼ばれて講師をした際に、海外留学生、社会人生徒それぞれに対して私の経験したビジネスケースを元にワークショップ形式の講義をしたことがあるのだが、見よう見まねで白熱教室もどきをやってみると、これが受けた。

先生の解説を読むと、その理由が良くわかる。
全体として起承転結にストーリーが組まれて、聴衆を引き付けやすい構成になっていること。一方的な講義をインストラクターとすると、議論を促進し、意見を引き出し、結論に至るまでのサポートを行うのがファシリテーションである。マイケル・サンダルはこのファシリテーションを使いつつ、要所要所でインストラクターとなる。冒頭に出したような、身近でイメージしやすく、考えさせられるテーマを準備すると同時に、的外れな議論でもその意見を尊重し、実際にそれが正しい方向へ舵を切り戻すための大事な意見にしてしまう。参加意識を高めるため、発言者の名前を聞き、最後に拍手を求めるなど、大勢の聴衆を本人に意識されること無く上手にコントロールしている。

たゆまぬ努力と天性のお陰でもあろうが、人にものを教えるだけでなく、大きな議論をまとめる上でも非常に参考になる講義であるが、それが堀先生によって深く分析されて手法を判りやすく整理されている。
絶版ということで残念であるが、まだネット上で売っているところもあり、最悪は中古でも読んで見る価値がある一冊である。