2009/12/05

日本の地方中小企業がやるべきこと

 100年に1度の不況と言われるこの時代こそ、日本を変えていくチャンスだ。民主党政権になって政府の緊急対策に注目が集まっている。重病患者への対処療法は必要だろうが、何でも国に頼る姿勢でいいのか。かねがね日本がよりよい国になるときの指標はQOLで世界のNo.1になることだと思っている。その道は遠いが、まず恵まれた自然と土地の規模がある国土の有効利用をすべきだ。 東京への一極集中の排除。そのためには地方都市だけでなく、農村にまで元気な産業たくさん作る必要がある。
 その際に大企業に頼っては駄目。特に国際企業には所詮その地方のためにどう頑張るかの視点がない。地方に工場を作っても、中核は本社の人員で、為替の問題で生産を海外にシフトする場合はその工場を手放すことを厭わない。やはり地元の中小企業をもっと元気にする必要がある。 
 モデルは欧州の地方産業。広大で緑の芝生に覆われた、牧場を走り抜けていくと、その先に納屋を改造したオフィス。中には別荘的な作りのインテリアと最新鋭のコンピューターシステムの入ったオフィス空間。赴任時代にそういう地方(というか田舎)の中小企業をいくつも目撃している。イギリスの地方都市はそれぞれに産業を持ち、それぞれの地方が独立経営でなりたっている。新鮮で安い食事にありつけ、環境と空気がいい、ストレスも少ない、家も安い。地方や田舎にオフィスを持つのは、いいこと尽くめだと思うのに、現実の日本は過疎化が進んで出口が見えない。そこそこの地方都市でも、週末の買い物時だというのにシャッターが閉まりっぱなし。現金収入の口を得るために、国からの補助金を利用して、必要もない道路を作り、車の通らない道で工事中の案内係りを若者を雇う。 
 海外と比べると、むしろ日本のように一極集中の国の方が異質といえる。どうすればいいのか。
 まず、親会社や元請企業だけを当てにしない。国が何かしてくれる、という期待をしない。自分で何とかするという視点。ここがスターポイント。実は日本の中小企業には国際的に比較しても「売り」になる技術や経験がたくさんある。そこにまず自信を持つ必要がある。日本が経済的に強くなったのはトヨタ、ホンダ、ソニーのおかげではない。それを支えた広汎な下請け中小企業の努力がある。本来、海外の投資家が狙うべきは日本の国際企業ではなく、そのヒエラルヒーの下部に居る中小企業だろう。その意味で自分たちが実は宝の山だという自覚が必要。では自分の強みは何か、それを知る必要がある。 従来、元請の言われたとおりにやっていた会社だと、自分の強みが意外にわからない。それを見つけるためには思い切って販路を広げることが大切で、その競争の中でもまれ、自分の強みを発見していくことが出来る。その強みを支えるのはやはり「人」であることも忘れてはならない。

 以前、中国・上海の官営印刷メーカーが、埼玉の中堅印刷機メーカーを買収した経緯をNHKのドキュメンタリーで見た。上着もよれよれの上海から派遣されたたたき上げの中国人社長がまずやったことは、旧経営陣の役割を見直し、年齢別ではなく職能別に役職を変更したこと。かつての上司が部下になるなど、経営体制を実力主義に変えている。
 ここまでは十分予測できる。驚いたのは、首切りされていた60歳以上の工員を呼び戻した事だった。このメーカーの製品もコンピューター化されて、いわゆるアナログ的な年配の工員はコストカットのためにどんどんリストラされていった。 それでも経営は良くならず、結局中国企業に買収されてしまうわけだが、この中国人社長はそのリストラが失敗の原因と見抜いたようだ。他にもさまざまな改革を加え、同社たたちまち蘇った。

 製品の品質はコンピューターだけで決まるわけではなくて、ボルトの締め具合、パーツのはめ方など、非常にアナログ的なノウハウの結集でもある。それは安いからと言って代わりに雇われた派遣社員が教えてくれる人もなしにゼロから編み出せるものではなく、何十年もその工場で先輩から受け継いで学ぶべきものだ。それを首切りされた年配の工員は持っていて、それを宝の山だと見て取った中国人社長が賢いわけである。

 恵まれた人は、自分が恵まれていることに気づかない。私はこの中国人社長の能力に疑いを持つつもりはまったくなく、優れた人だと思うのだが、同時に中国人として自国の工場のレベルを良く知っていたことがが幸運だったのだと思っている。 自分たちが持っていない部分を日本のメーカーに見出した、それで日本メーカーの本当に優れたところが見えたのだと思う。優れているのに使い切っていなかったところも気づいたのだろう。
 自分たちの強みは人にあること。ではどこが強いのかを知るには、まず比較すること。そのためには自ら自分たちが比較される別な市場に乗り出していく必要がある。 

駆けつけ前の一杯のお茶

 30年前の大学生時代、北京の大学に一ヶ月の語学研修に行った。 旅行目的では中国へのビザを簡単に取れなかった時代だった。 中国も外貨が稼げて都合が良かったのだろう。 大学生中心の30名程度のグループになったと思う。 その中に、山口から来た50歳位の男性がひとり混じっていて異質だった。 地元企業を率いるオーナー社長の息子さんらしかった。 見るからに健康そうだったが、毎日大学の食堂で食べていると調子が悪くなるものか、しばらく入院したかで見えなくなった。 終業式(?)のときに治って現れて詩吟を吟じてみなを驚かせた。 なるほどこういう年齢の人は詩吟をやるのかと妙に感心したものだった。 この人を含めて、宿舎の私の部屋に近い人たちで集まって、小さなテーブルに酒を並べ、ベッドをソファー代わりにして夜更けまでよく語り合った。 おそらくそのときにこの人から聞いた話をその後もずっと覚えている。
 地元の消防団に参加しているらしく、火事のときには駆り出されるそうである。 夜中に警鐘が鳴るのか、あるいは電話で呼び出されるのか、とにかくがばっと寝床から飛び起きるそうだ。 普通われわれが考えるのは、そのまま防災服でも着込んで慌てて飛び出していく姿だが、この人は出かける前にタバコを一服していくのだそうである。 「気を落ち着かせる」ことで、いい仕事ができ、かつ「自分の身も守れる」のだそうだ。 「タバコを吸わない人はお茶でいい。 一杯ゆっくり飲んで、そして・・」、すわ、鎌倉と駆け出すのだろう。 大事の前に自分を落ち着かせるための工夫。 タバコはとうの昔に辞めて、お茶もカフェインが駄目な私の場合は、ジュースか深呼吸だろうか。 そういう大事が起きたときに、この話を思い出せるかが心配ではあるが・・。